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浄源寺布教

更新日:2月20日

昨日、今年初めての布教へ出させていただきました。

岩槻区の浄源寺さまは本当に久しぶりでした。前住さまがおいでの時で、まだ私が千葉のお寺にいた時ですので何か感慨深い気持ちでした。

幸いにもお天気も良く、前住さまご自慢の河津桜も咲き始めていました。


この度は[親の恩]についてお取り継いたしました。

遇い難い仏法へ導いてくださった我が親と、またこの世に生み育ててくださった喜びを精一杯、私の経験をもとにお話しいたしました。皆様も一緒に自身の親への思いを振り返りながらお味わいさせていただきだきました。


久しぶりですとまだまだ緊張します。それでも貴重な時間をお取り継ぐことが大切なので、声の仏さま、南無阿弥陀仏というおはたらきについてお話ししました。

【まかせよ、救う】全てが凝縮されているのが南無阿弥陀仏の声であります。

何もわからない私に声となってはたらいていてくださいます。

聞かせていただくことすらなかなかできないこの私に多くの仏縁があればこその南無阿弥陀仏でございます。


【まかせた】証が、私のこの愚痴の口に声となってあらわれてくださいます。

浄土真宗のお念仏は、【救ってください】ではありません。

【有難うございます】であります。

疑念のお念仏ではいけません。

弥陀成仏のこのかたは 今に十劫へたまえり

長い時間をかけて、これでもか、これでもかとお気づかせくださるためのご苦労でございました。


阿弥陀さまのお救いは、救わずにはおれないという願いによって仕上がっているのです。親が我が子に名をつけ呼び続けてくださいましたね。皆さんは何回くらい呼んでもらって親を知りましたか?阿弥陀さまは我が親以上に長い間、呼び通しに呼び続けてくださいました。ようやくお念仏を聞かせていただくことができたのです。

ですから浄土真宗では、阿弥陀さまを親のようなものと言い、昔から【親さま】と呼んでいます。

今こうしている間にも聞こえてくださいます。

耳に、口に声となってあらわれてくださいます。有難いですよね。

誰でもが遇える南無阿弥陀仏なのになかなか遇うことができません。


遇い難い南無阿弥陀仏にこうして遇うこと、この口に南無阿弥陀仏と申せる私になることが、私が亡き人にさせていただける最高のご供養だと知ってください。

この度は、時間の許す限りのお取り継をさせていただきました。

貴重な布教の場でありました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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