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仏縁とは目覚めへの誘い

更新日:2025年9月21日

仏教では、私たち人間が生きていく中で煩悩を克服することで、悟りの境地に至って往生していきます。しかしながら、これは誰でもが実践して克服できることではありません。「死ねば仏」というよりも「死ぬまで煩悩から離れられない」私であります。ある修行の道を極められた師匠が弟子に残した遺訓(遺言)が「死にとうない」だったことは有名であります。


やはりどんなに修行を重ねても外見はらしく整えてみても内面は「煩悩具足の凡夫」のままなのでしょう。煩悩具足の凡夫が自力で往生浄土に至ることはないのです。

これは仏教を説いているお釈迦さまがはっきりとおっしゃっています。

真理に目覚めること、これが悟りへの道なのです。

自力の生き方は、仏さまに頼らず私の努力、修行の末に脱却していくのです。

簡単に言えば、欲からの脱却ですから、お酒には興味がない、タバコも吸わない、グルメにも興味がない、高級車には乗らない、着飾ることもしない、どんな人にも優しく接して争いごとはしない・・・・・。


他にもたくさんあるでしょうね。

皆様が知っておられるお釈迦さまのお姿を思い浮かべればわかると思います。

質素でどんな人にも優しく分け隔てなく接することができますし、一番は悲しみ、苦しんで悩んでいる人に常に寄り添ってくださいます。

さて皆様の周りにはそのような聖者たるお坊さんはいらっしゃいますでしょうか。

しく少なくとも私は程遠いお坊さんであります。

若いときには理想を求め自力修行の道を歩んだことがありますが、あまりの厳しさに挫折を味わいました。

凡夫であることすら自覚できないのです。


では自力で往生できない私は地獄へ行くのでしょうか。

自力のままであれば死ねば仏ではなく、地獄なのでしょう。

そもそも仏教の教えにはそのような私の都合の良いものなどありしないのです。

あるのではなく、仏教の教えを知らない人が勝手な論理で作ったのです。

この世は正しいものもあり、また間違っていることも「嘘も方便」というように受け入れてしまう危うさがあるのです。ましてや自尊心の塊たる煩悩具足の凡夫は、都合の良いような解釈をしがちであります。


浄土真宗の方であっても、「私はお念仏を称えているから大丈夫」とか、「お寺に参っているから大丈夫」だとか、「お墓参りしているから心配ない」など何かをやった見返りとしているように思えてなりません。お釈迦さまはそんなことは何一つおっしゃってはいません。

自力で末法の世で往生するのか果てしなく難しいと、おっしゃっています。

末法とは、お釈迦さまが亡くなられて1,500年(または2,000年)以降の時期で、仏教では教えのみあって、修行する者もなくなり、悟りに入る人がいない時期を言います。


現に仏教が起こったインド(ネパール)では仏教が廃れてヒンズー教ばかりになっています。素晴らしい教えでありながらも、この世からお釈迦さまがいなくなってしまうと自力での往生は大変難しくなってしまうのです。


ではなぜ「死ねば仏」という言葉があるのでしょうか。

先にも言いましたが、あるのではなく勝手な論理で作ったのです。

一説には、「阿弥陀如来はどんなものでも救う仏さまだから」というところから

や、『歎異抄』に弥陀の本願を信じ、念仏申さば仏になるという言葉がそうなってしまったというようのも言われています。

どちらにしても、自分の都合の良いように思い計っても、煩悩具足の凡夫が仏になる道は、阿弥陀如来のご本願を知ることから始める必要があります。


阿弥陀如来がなぜ南無阿弥陀仏一つであらゆるものを救うことができるのか、聞いておく必要があります。

例えば、病気になったとき勝手には治らないのは皆様もおわかりですよね。

自分勝手に調子が良くなったから薬を飲むのをやめた。さて、それで治るのでしょうか?難しいですよね、きっと。

お医者さまがおっしゃっているように患者がお医者さまを信じて、任せていくことが大事だと思うのです。


同じように、阿弥陀如来も地獄行きの人生を歩んで自覚のない人を勝手には救えないのです。自分が煩悩具足の凡夫である自覚に気づかせていただくことにより、どうにもならない自身の生き方を知り、往生する道が自分にはないことに気づかせていただくことが肝要であるのですね。

阿弥陀如来は、「まかせよ、救う」とおっしゃっているのです。

私は私のままで良いから、そのまままかせよとおっしゃっているのです。

これがなかなか頭で考えるより難しいのです。

実際には、仏法聴聞を重ねていきませんとまかせていける私にはなりにくいのです。

どうしても私が頑張ってしまうのですよ。

頭でわかっていても自力から脱却することは並大抵ではありません。


死ねば仏という言葉に油断せず、仏法を聞いていく人生を歩んでいただきたいと思います。

超法寺では毎月第四土曜日に安穏法話会を開催しております。

詳しくは超法寺ホームページをご参照ください。

合掌、南無阿弥陀仏。

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