本願一乗の教えが浄土真宗
- 超法寺の住職

- 2月10日
- 読了時間: 3分
更新日:2月14日
弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし『正像末和讃』
今年最初の大きな出来事、衆院選は自民党の歴史的大勝利で終わり、急遽結党した
中道ですかが公明党だけ議席を確保し立憲は大敗北という衝撃的な結果となりました。旧民主党の大物議員がそろって落選するなど時代が明らかに変わったように思いました。私自身も、おかげさまで投票行使100%を継続することができました。
埼玉県ではどの選挙区も投票率が60%を超えたところはなく、何選挙区は過半数を下回っている悲惨な状況でありました。選挙期間中、高市早苗総裁が応援演説した際には多くの方たちが聴衆に訪れたと言うにもかかわらず投票率が上がらないのは恥ずべきことだと思います。
このように政治の浮き沈みで私たちの生活において困ることがこれほど多いのに、1票を投じると言う行動ができないで文句だけは言うのが悲しい。
今回も数百票差で当落が分かれた選挙区もあったのでした。
ですから投票は放棄しないことが大切だと思うのです。
人間模様は、わずかなことに一喜一憂する軽薄な姿があるように思います。
自分に関われば大騒ぎをし、関係ないと無関心。人間の苦悩は尽きることがありません。
如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなほもまた
罪福ふかく信ぜしめ 善本修習(ぜんぽんしゅじゅう)すぐれたり
『正像末和讃(誡疑讃)』
阿弥陀さまの本願力を信じることができずに、絶えず禍福のために心を悩ませ、善行をつとめ励んで自分の果報を得ようとする者の姿が表されています。
⭕️本願他力の道は、我々人間が娑婆の火宅無常・虚仮不実(こけふじつ)であることをありのままに知って、世界の根源においての阿弥陀如来の寿命と光明の中にあって、その摂取不捨の力に心から安らぎながら生きていく「法」です。
本願一乗の教えは、あらゆる命を一人残らずオサメとり、どのような悪業も善業に転じ、未来永劫の勝益を得させる大道であります。
これが心から信じられた時、自然に報恩謝徳の念仏(南無阿弥陀仏)が我が口に称えられるようになるのです。
弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。南無阿弥陀仏の主に成るといふは、信心をうることなり 蓮如上人
阿弥陀如来の願力を信じて称名念仏(我が口に南無阿弥陀仏と声にして称えること)をする人は、仏のこの上ない功徳が身に心に満たされ、この世界で最も歓びにあふれた人になります。それを南無阿弥陀仏の主に成るということです。
そうして生きていくと自然とこの世に生まれた喜び、生きている喜びを常に感じて生きていく私になっていくのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
※『念仏のうた』五十嵐明宝氏著より



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