寄り添う気持ち
- 超法寺の住職

- 2024年6月15日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんばんは。
今日は午前中、整骨院へ行き午後からは横浜市でお参りでした。途中いつものように16号線で南下したのですが最近では一番車が混んでいました。すっかりコロナ禍の影響はなくなりました。以前に比べ30分以上かかるようになりました。疲労度が半端なくなりました。
母を思う気持ちは私は失われることはありません。常に母を思いながらお念仏が出てくださいます。南無阿弥陀仏
諸仏のはたらきの中に常に我が身を照らすなり。いつも母と一緒に歩んでいます。母から賜わったものが今の私を支えていてくださいます。皆さまは口にお念仏となりますか。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ••••••
簡単ではありませんよ。我が身にいただかねば決して称えることなどできません。
だって阿弥陀さまは他力のおはたらきですから、いただかねば私の愚痴の口には声とはなりません。
年代的なのでしょうか、最近は母と同世代の方にご縁をいただく機会が多いです。その度に母を思い、母がくださった【恩】が思い出されます。愛情たっぷりの優しいお母さん。もちろん時には厳しくもありました。それでもお母さんはご催促をくださいました。南無阿弥陀仏をお称えすると、ニッコリ微笑んでくれました。
母が喜ぶ姿を見ることが私の喜びでした。
もう思い出になってしまったけど色褪せることはありません。だっていつも側にいてくれます。「お母さん!」そう呼べばあら不思議、私の愚痴の口から阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と現れてくださいます。
皆さまにお伝えすることは私の技量では難しいけど、阿弥陀さまの他力本願のおはたらきは必ず伝わっていくものです。【聞其名号】[もんごみょうごう]南無阿弥陀仏を聞かせていただきなさい。そして「あなたのことはもう阿弥陀が救ってあるから心配するなよ。」と聞きなさいと受け止めていくのです。
それは、そんなに難しくもない、それでいて私が頑張ったとしても称えられない。
だってお父さんがお母さんが私に名前をつけて、呼び通しに呼んでくれたから私が親を知れたことと同じですもの。親が我が身を通して世の無常を教えてくださいました。「必ず命終わっていかねばならない」いつも私の側にいてくれた親がこの世を去り、寂しくてどうしようもない私ですが、南無阿弥陀仏をお届けくださりながら、少しずつではありますが「無常を知り、阿弥陀さまの願いを南無阿弥陀仏といただいてくれ、それが母の願いです」
そのような場に遇わせてくださった親は素晴らしいと私は思います。
皆さまはどうですか。
明日は朝イチでまた横浜市まで行きます。早起きしなきゃいけないので休みますね。
おやすみなさいませ。南無阿弥陀仏




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