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妙好人源左さんを味わう

「時が来たら一寸も待たれんだけなぁ。」(源左)

【仏法には明日ということあるまじく候】

蓮如さまのお言葉


「仏法のことや後生のことは今、急いで明日も知れぬと聞かにゃならんだけのう」(源左)


「どうでも極楽参りがしたあて、源左さんのご縁にあいにきただいなぁ」と小畑村の同行(どうぎょう)

〈願正寺で待ち受けた源左さん〉

「おらぁ、地獄におちるよりほか、ないだけなぁ」と一言。


「おちりゃこそ、助かりたぁて、わざわざ訪ねてきただいな。もっとええご縁にあわしなはれな。」と同行。


「おらなぁ、おちるよりほかにゃないだいな。だが、なんとしたことか親さんが助けるっておっしゃってのう」(源左さん)


すると同行たちは、

「こがなこったら、わざわざ山越えした甲斐がなかったぞな!」「帰ろ、帰ろ」と帰っていく。


それを楼門まで追いかけてきて源左さん、

「お同行衆、お同行衆」

「そがな、ええ話があったら、おらにも聞かしなはれや」と言った。


《お領解(おりょうげ)》

◉会得•体得•感得すること。

◉無明がワカレバ明トナル、本願信受(ほんがんしんじゅ)の宗教的体験=「夜明けさしてむらう事」


⭕️「をどりゃ まんだ 極楽を知らんかい」

 「だいぶん 馬鹿だの」

 「わしや まんだ 極楽を知らんが 極楽はどこかな」

 「極楽は ナムアミダ仏が 極楽や」

 「わしの地獄は 心が地獄」

 「今は あなたに地獄をとられてナムアミダ仏」

 「才市や どこが浄土かい」

 「ここが浄土の ナムアミダブツ」


妙好人と呼ばれるお念仏を喜び、南無阿弥陀仏と一緒に今を生きていく人たちのお味わいをご紹介させていただきました。

まだまだ、このような方はおられますよ。

京都、西本願寺へ参ってみてごらんなさいよ。

朝のお晨朝(おじんじょう)に堂内に大きなお念仏の声が響いていますよ。


最近では、お寺さんすら「うるさい」という方がいたりして残念に思います。

お念仏は、阿弥陀さまに救われた喜びが声となって表れた姿であります。

嬉しい!と喜んでいる方々に「うるさい」などとは悲しい世の中になったものですが、私はいつも有り難くお聞きして、ご一緒にお念仏をお称えして喜ばせていただきますよ。


地獄行きの私を知らされて、その地獄行きの私を救うぞ‼️と喚び続けてくださるのですからね。

人間の悲しさは、自身の地獄行きがわからないことであります。

他人のことばかり批判することで、自身の地獄行きの愚かさにはなかなか目も向けられない生き方であります。


そういう方こそを、救いのど真ん中‼️と常にはたらいていてくださり、気づけよ、気づけよ❣️と喚んでいてくださいます。


ですから、浄土真宗のお念仏は、人から強要されるものではございませんよ。

南無阿弥陀仏

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