「力」とははたらき
- 超法寺の住職

- 7月22日
- 読了時間: 5分
皆さま、おはようございます。
連休明けですが、いかがお過ごしでしょうか。お仕事の方や学校に行かれた方は身体がだるいのではないでしょうか。お見舞い申しあげます。今日も暑くなりました。
あまりに暑すぎるとセミが鳴かなくなると聞きましたが本当のようですね。
当たり前のように思っていたことが実は当たり前ではないことにこうして知らされます。
私は悲しいかな、常に私の常識や論理で他者を裁き、他者と戦っています。
仏教では一番愚かなことだと言われます。
何故なら私たち人間が考えること、することは真実ではないからです。欲望の中に生きることは真実に背を向けて生きていくことであります。
先の参院選もそう。自分の思い通りにならないと周りを責めて叩いていきます。「おかしい、不正投票があったはず」と疑うのですね。自分の考えが正しい、正しいと剣を振りかざします。
「こうあるべぎだ」とSNSで戦わせようとしますが、はたしてそれは意味があるのでしょうか。ただ自身の愚痴を吐き出しているだけではないでしょうか。
さて最近は童謡をあまり耳にする機会がなくなりました。私が子供の時分には「日本昔ばなし」や「一休さん」などのアニメが普通にありました。心が和むそんなものが身近であった気がします。しかし近年では見ない気がします。
姪は「それいけアンパンマン」が好きでした。
「何のために生まれて、何のために生きるのか、わからないなんてそんなのは嫌だ」
素晴らしいヒーローの歌じゃないですか。
皆さんは、子どもさんやお孫ちゃんから、「パパ、ママ、私は何のために生まれてきたの?私は何のために生きるの?」って聞かれたら正しい答えを持っておられますか?
私たちの子ども時分は大人の言うことは正しい、間違いないと思っていましたから嘘を言われてもそう思っていたからいいですが、今の子どもはすぐにネット検索しますから騙されませんし、嘘を言えば静かに嫌われます。
もちろんこれは仏教の教えを聞く日暮しを重ねていませんとなかなか分からないでしょう。
されていますか?
先に話した童謡はそんな人間と生き物の素晴らしい関係を歌っています。
皆さんは、「カラス何故鳴くの?」この続きはなんて歌いますか?
私は「カラスは山に可愛い七つの子があるからよ」と歌います。
世代によっては「カラスの勝手でしょ」と歌うのではないでしょうか。
たったこれだけで倫理観や子どもの優しい心が変わっていくと心理学の先生が仰っておられました。いかがでしょうか。
浄土真宗のみ教えは【他力本願】と言います。
他力本願ってどういう意味でしょうか。
童謡を紹介します。
待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと 野良かせぎ そこへうさぎが飛んで出て ころりころげた 木の根っこ
待ちぼうけ 待ちぼうけ しめたこれから 寝て待とか 待てば獲ものは 駆けてくる うさぎぶつかれ 木の根っこ
待ちぼうけ 待ちぼうけ もとは涼しいキビ畑
いまは荒野のホウキ草 寒い北風 木の根っこ
他力とは当てにならないものを何もしないで、ただ待ち望む他人まかせを他力本願とは言わないのです。
他力とは【阿弥陀如来さまのご本願のはたらき】を言います。
常に自分が正しいと周りを責めることしかできない。他者を傷つけ、他者の命を奪っても平気な生き方を地獄行きのタネともわからない。
そんな危うい私をお見抜きくださった阿弥陀如来さまの救わずにはおれないというはたらきかけを、先手に願いかけられているはたらきであります。
堕ちる私を堕とさないとはたらく願いこそが他力本願であります。
つまり真実のわからない私をまるで親のように見守りながら、あの手この手をもって知らしめようとはたらいていてくださるのです。
親心はなかなか子どもには理解できないものです。後であるきっかけを通して知ることではないでしょうか。
あまりに危うい生き方をしている私がいるからこそ、阿弥陀如来は「救いの親」となられたのです。
火事になっていることも知らずに家の中で楽しげに遊ぶ子どもを心配し、「逃げなさい、早く」と呼んでくれているにも関わらず、それでも家の中で楽しげに生きている。家宅無常と言われる世界であります。
火事は無常、家は人生、無常を知らしめようと呼んでいてくださるのは阿弥陀如来さまです。
阿弥陀如来さまは、無常世界を生きている私たちに確かなものを与えてくださり、共に無常世界の人生を歩んでくださるのです。
他力は進む力を与えてくださるのです。
他力は力であり、はたらきでありますから目には見えませんがあるのです。
スマホを使うには通信電波が必要ですが目には見えませんよね、でもあるのですよ。
もちろんTVだって同じです。無いと見れません。あるから、届いているから見れるのです。
阿弥陀如来のおはたらきを知るには南無阿弥陀仏の声を聞いたらいい。
南無阿弥陀仏の声が阿弥陀如来さまですから。
【弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人かためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ】
とは、親鸞聖人の常の仰せでありました。
皆さんは、親鸞のところに自分の名前を置き換えて何度でも読んでみてくだされば阿弥陀如来さまの親心がわかるはずです。
南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・




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