佛照寺秋季彼岸布教
皆さまシルバーウィークはいかがでしたか。台風の影響もありお出かけを控えられた方もあったのでしょうか。私はお休み最終日に茨城県土浦市の佛照寺さまの秋季彼岸会へ出向させていただきました。
ご住職は若い頃から大変にお世話になり今回も二年ぶりでした。
二年も経つと色々変わりますね。
若先生がご結婚され益々賑やかになっていました。
この度もたくさんのお参りがあり満堂でした。
多くの方々を前にお彼岸のお取り継ぎをさせていただき頭が下がる思いでした。
この度は親鸞聖人のご和讃、高僧和讃曇鸞讃「安楽浄土にいたるには 無上宝珠
〔むじょうほうしゅ〕の名号と 真実信心ひとつにて 無別道故とときたまふ」
をお取り継ぎいたしました。
お聖教には、無上宝珠「如意宝珠のたまなり。この宝珠は濁れる水に入るれば、
水はすめども身さびゐず。水晶は濁り水に入るれば、身さびゐる。かるがゆゑ
に水晶をば万行万善にたとへ、宝珠をば名号にたとふ」(異本左訓)
無上道故「別の道なきがゆゑに」とあります。
私たちのように命終わるまで罪を重ねて生きるしかない、また罪の意識すら持ち得ない者は自分の力で往生する力を持ちません。それなのに死ねば仏などと思い上がってはいないでしょうか。そのような私がいるからこそ救わずにはおれないという阿弥陀さまのお慈悲起こったのであります。
まことを知らずに生きている私の愚かさを仏は先手のおはたらきが届けられている。
煩悩具足の私だからこそ阿弥陀さまのまことがいただかれる世界が開かれるのです。
私が生きている身の幸せを知ることのできるのは仏法聴聞の道一つだけなのです。
阿弥陀さまの願力の確かさをお聴聞を通して知らされ、うなずかざるをえないのです。聞法によって、我が身が知らされ、いよいよ阿弥陀さまの願力の力強さが知らされるのですね。「聞」によって開かれた世界は阿弥陀さまよりたまわりたるまことの信心の世界なのです。
この積み重ねにこそ自分の命の行方がはっきりと見える眼を持つことができるのです。だからこそ先人は、春秋のこの時期に彼岸という仏法聴聞のご縁を作ってくださったのです。確かにお寺へ参ってお経を読むことも大切だとは思いますが、それではちょっと何かが足りないのです。
お経には一体何が語られているのかがきっとわからないでしょう。
そしてお経はご先祖のために読むんじゃないんですよ。
今ここに生きる私が苦しみ悲しみがありながらも人生を豊かに安心して生きていける道があるということを親鸞聖人は教えていてくださるのです。
お念仏を知らない、仏法聴聞の素晴らしさを知らない人生でしたら、思うようにならないことに出逢えば世を憎み、人からの親切も素直に受け止められずに愚痴ばかりの日暮らしになったことでしょう。
是非、聞きたくない法話はご先祖が私に生きていく喜びを知って、生まれゆく道を聞いておいてくれよという願いなのだと聞いてみて欲しいですね。
今回お出会いさせていただきました方々には感謝します。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏





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