仏教テレフォン相談
10月6日、仏教情報センターのテレフォン相談員〔ボランティア〕の担当でした。
午前中は2名体制、午後は3名で私は10名様のご相談に対応させていただきました。
改めて皆様が多くの悩みを抱えておられることに驚かされます。
生きて行くことは苦悩からは逃れられません。
こんなはずじゃない、どうしてこんな、と自分は一生懸命であるのに周りが自分の思うようには見てくれないこと、また、過去に自分がしてしまったことを自分の都合で肯定してしまうことで苦しい思いをされておられるようです。
私自身も普段からあれこれの失敗や悩みを経験しています。
でも南無阿弥陀仏を称えながら阿弥陀さまとご一緒だと思いながら、仏さまに励まされながら日々を過ごしています。「大丈夫だよ」あなたらしく生きていきなさいと促されているように受け止めながらの毎日であります。
とかく皆様、仏教用語はたくさん知っておられるのに意味を理解せずに右往左往されているように感じます、意味を知ったら実はとても人生楽に生きていけると言うのにね。難しい仏教書や、人気の教養書はそれが本当に自分に適しているかがわかりませんから、それを消化するのが大変です。
お寺で聞く法話は、お坊さんが読み消化してくださったものを言葉として聞くので聞き入れやすいのですね。
勉強会というよりは落語や雑談を聞くようなイメージではないでしょうか。
聞いて楽になる、これが昔から浄土真宗では大切にしてきた仏法聴聞の姿です。
渡邉尚爾さんは、『籠耳』に、聞いて忘れて忘れて聞いて、わたしゃ籠耳、お慈悲の水に今日も一日ざぶりと浸かり、ご恩喜ぶしあわせものよ
と詠んでおられます。
籠耳は今で言えばザル耳でしょうか。
皆さま、ザルを水でいっぱいに満たすにはどうすればいいでしょうか。
水をかけてもジャージャーと水は抜けてしまいますよね。
炊事をされる方ならわかるでしょうか。そう、ザルを水を張ったものにつけてしまえばいっぱいになりますよね。水が仏さまです。ザルが私です。聞いても聞いたところから忘れて行くのが私です。だから聞いて安心してもすぐ忘れてしまいます。忘れたらまた聞くのです。この繰り返しが大事なのです。
私たちは「わかった」と思うとすぐ仏さまから離れてしまうのです。法話を聞くのは繰り返し聞くことが大切であるということなのでしょう。
なかなか聞く機会が持てない人は、こうやって電話一本でお坊さんに聞いてみる。それを繰り返すことで少しずつですが素直になることができるのでしょうね。
お悩みの方は実践してみてくだだい。自分で抱えていても何も解決しませんよ。
年々体力的に辛くなってはいますが、できる限り続けていきたいと思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏





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