何とも悲しいしきたり
- 超法寺の住職
- 7月5日
- 読了時間: 5分
皆さま、おはようございます。
おかげさまで今日という日を迎えています。
二度とない今日であります。
朝からまたまた鹿児島県の島では大きな地震が起きていますね。地球の活発な活動で生きているということです。恐ろしくもあります。
しかしながら私たち人間は勝手なもので、温泉は歓迎するのに[マグマのおかげもある]、大地震や津波は嫌ですよね。すべて[ものさし]を振りかざし自ら不安を生み出しながら生きているのです。そこに気づかせてくださるのが仏教であります。
また参院選も近くなりSNSで首相への悪口や不満が投稿されていますが、それもこれも政治に無関心で投票を放棄している有権者が約4割も存在していることにそもそもの問題があるのを忘れてはなりません。
マスコミの偏見的な報道に振り回されて、あたかも首相が悪いみたいな論調には気をつけたいものです。彼を首相とさせている大物が姿を見せずに笑っていることには思いがいかない無頓着な有権者は私たちではないでしょうか。
代議士の都合で必要な郵便局を民営化して劇場を作り圧倒的な支持で引退した今も親子揃って大人気なあの人が何をしたかお忘れじゃないですか。郵便局を民営化して今や郵便局は大赤字で郵便料金も上がって私たちの生活はどうなりましたか。
またお米問題をJAのせいにして民営化すべしなどとまた過ちを繰り返そうとしているのはいかがなものでしょうか。
抜苦与楽[ばっくよらく]
私たちは長い間、欲しいものが手に入りさえすれば便利や快適な「楽」になると思い込んできました。しかしいくら欲しいものを手に入れても、どんなに便利になっても、振り返ってみればちっとも豊かな実感を得られていない、むしろ貧しさばかりで逆に在日外国人の方がよっぽど豊かな生活を送っていたりする。
「不安」という名の「苦」を深めることになっています。
仏教の大きなはたらきの一つに【抜苦与楽】があります。文字通り苦しみを抜き、楽を与えるという意味です。
江戸時代の妙好人、三河のおそのさんは、あるお寺の住職に地元では仏法が広まっているかを聞かれてこう答えました。
「人はともかく、私の場合は繁盛も繁盛。大繁盛です。」
ほう、どのように繁盛しているかと聞かれると、「それはもう朝から晩まで、あるわないわ、足るわ足らぬわ、可愛いわ憎いわ、三毒やら五欲やら、それはそれは繁盛しております」
それは仏法の繁盛ではなく、煩悩の繁盛ではないかと半ば呆れた住職に、おそのさんは笑いながら「はい、これさえあったらなあもうし」
と言われたそうです。
無碍光の利益より、威徳広大の信をえて、かならず煩悩の氷とけ、すなわち菩提の水となる [高僧和讃]
煩悩がなくなれば幸せな生活が送れる、立派な人間になれると思いがちな私たちですが、仏教では煩悩をなくせるとは説いていません。
なくせない煩悩を抱えた本当の自分に遇うことが仏教の眼目[がんもく]なのです。
自分の都合や自分勝手な思いという[ものさし]を振りまわして自ら不安を生み出している自分に気づかせていただくのが仏教です。
そこから開かれてくる「与楽」は、私たちが日々求めていた「癒し」とはまた違った世界であったと知らせていただきたいですね。
今年もお盆がやってきます。
昔から人間が死ぬのは何かが取り憑いたからだと考える風潮があり21世紀の今もいまだにそう考えている人が多いのではないでしょうか。
「恨み」が怖い、俗信が多い、命の行方がわからないとお嘆きの方はお墓参りをしてみるとよくわかります。
あちこちに卒塔婆や、お水やお茶、お菓子にタバコ、ビールが供えられ、ナスやきゅうりに足を付けて供えたりしています。
葬儀の際には、食べ物の恨みは怖いからと最高のご馳走だった白米[古古古米ではない]を炊き上げて茶碗に盛り最後の食事とする。
その上で茶碗を割って「もう帰って来ても食べる器はありませんよ」と追い出す。
帰る方向がわからなくするためにお棺をくるくる回して目を回したり、火葬場への行き帰りに道を変えたりします。
それが済むと塩を探して清めておく。
何とも悲しいしきたりですね。
さすがに塩は「浄土真宗の作法により」と用意がなかったりしますが本当の意味をわかっているのだろうか。
追い出しておきながら、お盆になるとナスやきゅうりに足を付けて帰ってくれとか、提灯を持ってお墓まで迎えに行ったりする•••••。
一体何なのでしょうか。
これは仏教の名を借りた俗信ですよ。
親鸞は亡き父母ね追善供養のために念仏したことは、かつて一度もありません。
というのは、命あるものはすべてみな、これまで何度となく生まれ変わり死に変わりしてかた中で、父母であり兄弟•姉妹であったのです。『歎異抄』第五条より
今年こそ、お盆にはお墓参りだけで終わらせずに、お盆のおいわれを聞く縁に遇わせていただきませんか。本当のやすらぎを知ることができるはずですよ。
俗信に振り回されて不安ばかりの人生はもう辞めてしまいましょうよ。
長くなりましたが、今日も予言通りにはならずに平常運転で南無阿弥陀仏を灯火として歩んでいきますよ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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