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仏さまのマネができる人

皆さま、こんばんは。

今月はまたいつも通りに落ち着いた毎日になりました。慌ただしいのも一過性でアテにはなりません。一喜一憂の繰り返しですね。

しかしながら、それでも我が口には南無阿弥陀仏が声となり支えていてくださいます。

これが励みとなり、「なるようになる、心配するな」の一休禅師の言葉のような気持ちで粛々と歩んでまいります。


『念仏子守唄』をご紹介します。

おどんがお父さんは、南無阿弥陀仏

おどんがお母さんも、南無阿弥陀仏


もろたもろたよ、六字の智慧を

愚痴が感謝に、かわる智慧


おどんが笑うときゃ、阿弥陀さまも笑う

おどんが泣くときゃ、弥陀も泣く


夜半(よわ)の目覚めの 南無阿弥陀仏

つれてゆくぞの、おやの声


鮎は瀬に住む、小鳥は森に

わたしゃ六字の、うちにすむ

(五木の子守り歌の節)


おばあちゃん、人間死んだらどうなるの?

「他人のことは知りませんよ。私は南無阿弥陀仏の如来さまに連れられて、阿弥陀さまの極楽浄土に生まれて往きます。そこで阿弥陀さまと同じさとりの仏さまになるの。そうして必ず、あなたの口に称えられる南無阿弥陀仏となって、あなたもお浄土に生まれて往くように、あなたの人生を守ってあげます。だから、おばあちゃんが死んだら南無阿弥陀仏とお念仏を称えて、その南無阿弥陀仏の声をおばあちゃんだと思ってくれよ。」



おじいちゃん、「死んだらどうなるの?

悪いことをした人も仏さまになるのかな。


「他人のことは知らんが、じいちゃんはの、じいちゃんのお父さんもお母さんも、お世話になった人たちを、みんな南無阿弥陀仏のお念仏の中に仏さまとして拝ませていただいているぞ。たとえ悪いことをした人でも、悪人の姿を見せて、お前にも悪い根性がある、こんな悪人になるなよと、じいちゃんを育ててくれた仏さまじゃったなぁ、と南無阿弥陀仏の中に拝ませていただいとるぞ。振り返ってみると、たくさんの仏さまに育てられて、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまに遇えたんじゃな。」


いかがでしょうか。

愚痴ばかり、他人の悪口ばかりを子どもや孫たちに聞かせるような老後ではあまりに悲しいのではないでしょうか。子どもは親の背中を見るなどと言われるように、死んだらどうなる私なのかを日頃から聞かせるようなそんな老後を迎えたいとは思いませんか。

私の祖父も祖母も父も母も、それぞれの人間模様の中から、南無阿弥陀仏こそ真であると教えてくださいました。これぞ宝であります。


これを知らされましたから、どんなに辛くても悲しくても、きっと苦しくても私は南無阿弥陀仏を人生の灯としながら乗り越えていけると思います。


『念仏子守唄』を口ずさんでください。

声に出してくださいね、きっと亡き人の皆さまへの確かな願いが心に染みてくるはずですよ。

昨今、若者の中に安楽死の薬などというSNS投稿を目にします。でもそれが南無阿弥陀仏であることはきっと知らないのでしょうね。

死んでよし、生きてよしであります。


私も私の役目が終われば帰らせていただきますよ、南無阿弥陀仏のお浄土へ。

それまでは前を向いて歩んでいきます。

南無阿弥陀仏、お休みなさいませ。


阿弥陀さまのマネができる人は必ずお浄土へ生まれて阿弥陀さまと同じ悟りを開かせていただきます。有り難いですよね。安心ですよね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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