top of page

神仏を誤解するのはやめて

念仏の人をまもるなり

 天神•地祇はことごとく

 善鬼神となづけたり

 これらの善神みなともに

 念仏の人をまもるなり

           『浄土和讃』


親鸞聖人は神道の神々と仏教の仏•菩薩を混同しないようにご和讃でも明らかにされています。

仏教の体系の中に、例えば帝釈天毘沙門天吉祥天といった多くの神々が包括されていることはご存知でしょうか。

浄土真宗のお寺では見られませんが、法隆寺や興福寺など奈良の古いお寺では多くの仏像の中に、そうした神々の像が安置されているのをご覧になったことがあると思います。


それらの神々は、いずれも仏教を護り、仏•菩薩を護る役目を果たす神々なのですが、そのルーツを辿ると、もとはインドやシルクロードの国々で天空に住むとされた神や大地を護ると考えられた神々ですから、それらをまとめて天神地祇とよぶのです。


日本固有の宗教である神道で天神地祇という時は、仏教を護る神々のことではなく、天神(あまつかみ)とは天照大神(あまてらすおおかみ)を始め、天上の神の国とされる高天原(たかまがはら)の神々、古代統一国家を形成した大和朝廷に従した諸氏族が古くから奉じていた神々を言います。


ですから、といってもさまざまな神々がありますから、神と仏とを混同する人が多いのは致し方ないとも言えるでしょう。

つまり「神さまなら皆同じであろう」と考えている人も、また間違った考えをしているということですね。


この和讃に言われている天神地祇は、仏教を護る神々であり、念仏を喜ぶ人々を加護する神々ですから、善鬼神ともよぶのです。


▶︎神々は人間がそれらの神々に「どうかお護りください」と頼むから護ってくださるのではありません。


阿弥陀仏の願いにかない、釈迦牟尼仏の教えにかなう、正しい人間としての生き方を求める念仏の人だからこそ、神々はこぞって力の限り護ってくださるのです。


自力では救われません。

ただ神々に祈り、神々に頼ろうとすることは、実は阿弥陀仏の願いにも神々の意(こころ)にも適わないことですから、神々も「何を考え違いしているのか」と悲しまれるに違いありません。


親鸞聖人は、さまざまな経典に基づいて明らかにされて、私たちにわかりやすくご和讃にあらわしてくださってくださるのです。

神社へお参りする際は、是非神さまの願いをしっかりと尋ねることを大事にしていただきたいですね。それは身近ではおみくじの中に書いてあるのです。さて、どこでしょうか、見つけてみてくださいませ。


わからない人はお寺に参ってくださいね。

それが一番早いかと思いますよ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

コメント


bottom of page