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『わたしが寂しいとき』

皆さま、おはようございます。

北京パラリンピックが始まりましたね。

何か北京オリンピックの時とはあまりに違う雰囲気に大会に臨まれる選手たちが気の毒な気がする。彼らを応援したい私たちも、その思いを踏み躙るような戦争を起こしている大国の理不尽さが腹立たしく感じるのは私だけじゃないと思います。


禁じ手である原発を攻撃して制圧するなどそもそもあってはならない話だ。

ウクライナにはあのチェルノブイリ原発があり地球上最悪の事故だと言われたはず。また福島第一原発もしかりだ。それほど危険な原発を攻撃するなど正気の沙汰とは思えない。

また原発を抑えられたウクライナの国民(非戦闘員)は、これから電気を失ってより厳しい生活を余儀なくされてしまうのではないだろうか。


日本も遅ればせながら自衛隊の装備、防弾着を提供すると発表したが、食料などの物資、そして何より子どもやお年寄りのためにも医療機器、医療品を届けてあげて欲しい。


このような人間の欲望が暴走する中、阿弥陀如来さまはどれほど心を痛めておられるのだろうか。

女流詩人の金子みすずさんは、『私が寂しいとき』にはこう綴っておられます。

ご紹介します。

【私が寂しいときに、よその人は知らないの

私が寂しいときに、お友達は笑うの

私が寂しいときに、お母さまは優しいの

私が寂しいときに、仏さまは寂しいの】


私が大好きな詩です。

人生で初めて長期入院した時に、毎日毎日この詩を読んで味わっていました。

まさにこの通りなのです。


この度のロシアによるウクライナ侵攻においても、私はこの詩を味わいながらお念仏を申して見守っています。

早く理不尽な戦争をやめてほしい。

誰もしあわせになんかならないよ。

人々の悲しみ、苦しみはいずれ愚かな人へ返っていくだろう。

因果応報とはそういうものだと思います。


そんなことを思いながら今日も私がすべきことを努めていこうか。皆さまも他人事とは思わずに私の生活に争いを持たないようにしましょう。二度とない今日を大切にされますよう念じております。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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