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苦悩の私のために

皆さま、こんにちは。

良いお天気になりましたね。寒いけど。

皆さまは連休でお出かけされていますか?


私は町田市の高源寺さまの法話会に出向しました。毎年お声がけいただき有り難いです。

8名もの方が(まん防のため少ないそう)が笑顔でお聴聞くださいました。


この度は漢字一字で108画の日本一難しいもの。「煩悩」ではない。

また今度ご法話でお伝えしますね。


煩悩から逃れられず、苦悩にある身であることにすら気づけない私たちのために仏さまになってくださった阿弥陀如来さまについてお取り次ぎいたしました。


法話は、ただ難しい専門用語を羅列して話しても伝われないし皆さまの聴こうとする流れにはなりなくい。講義とは姿勢が全く違うから。

まして私は真宗学の先生ではありませんから、お聞かせいただいて喜びとして受け止めさせていただいたものを取り次いでいるのです。


つまり喜びの一端を許された時間内でお話ししています。

布教使としては、時間オーバーは許されません。

それはお寺にはそれぞれに予定があるのだから、皆さまのお帰りの時間にも影響しますので自分勝手にオーバーしてはなりません。


本日お勤めしました『正信偈』の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」を中心にして少しでも身近な題材で取り次ぐこてを大切にしました。


漢字一字で難しいものを何と読むのかを一緒に考えることも大事だと思います。

一方通行にならないようにしたいと気をつけています。


きっちり時間内で終えました。

有り難いですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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不断煩悩得涅槃

人間たる者は、日々の生活の中で 煩悩から逃れることは非常に難しいというか、 死ぬまで苦しみ続けるものです。 かの一休禅師も最後の言葉は「死にとうない、ほんまじゃ」であったと言われるほどです。私たちのように日々、仕事に趣味を持ち、家族を持つものにどうやって修行をし、それを成し遂げることなどできるのでしょう。無理です。 煩悩を克服できない者は死んでも悟りの境地に至ることなどないのです。 三毒の煩悩 貪

 
 
 

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