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する気はあってもなくても縁あらば

皆さま、おはようございます。

日曜日、梅雨の雨であります。

世界中で悲しみの深い事件や事故が報道されています。中東ではまた愚かな戦時となり、インドでは240人が乗った飛行機が離陸直後に墜落して亡くなりました。しかし1名が奇跡的に助かったようです。同じようなことが人間世界では繰り返されています。


全ては【縁】によってそうなるのです。

生きるということは【欲】というものの中で良きこともあれば良くないことも同じくしてあるのです。それは私がそうしたいとか、それはなりたくないという気持ちは【縁】によってなるものであります。


生は偶然、死こそ必然


これが私たち人間が生きる世界です。

その因縁の中に身を置くお互いであります。

不都合に思えるでしょうか。

それだというのに悲しきかな、この世界で長生きしたいと夢を見続けているのも私には悲しみを感じて止まないのです。


さてこの度は、親鸞聖人の関東でのお弟子、唯円さまが書かれたと言われる『歎異抄』の一節をご紹介します。

この『歎異抄』は、【信心の異なることのないように、泣く泣く筆を染めて、耳に残っている親鸞聖人の教えを書き記した書】です。

 

第13章に、親鸞聖人と唯円さまの問答があります。有名ですので繰り返し読んで因縁についてお味わいしたいものです。


ある時、親鸞聖人が「唯円房は、私のいうことを信じるのか」と問いました。

唯円さまは、「私は親鸞聖人の言われることは信じます」と言われました。

「では唯円は親鸞の言うことには背かないか」と言いました。すると唯円さまは、「はい、慎んでお受けします」と答えました。

すると親鸞聖人は、「では先ず、ここを出て一千人殺しなさい、そうすれば往生は間違いない、どうだ。」


それを聞いた唯円さまは驚き、しばらく考えた後に「親鸞聖人の仰せではありますが、私の器量では一人すら殺せそうに思えません。」と答えました。

すると親鸞聖人は、「お前は今、私のいうことには背かないと言ったではないか、それは嘘だったのか。」

唯円さまは、黙ってしまいました。


すると親鸞聖人は、「これでわかるだろう。何事にも思い通りになるのならば、一千人でも殺すことができるだろう。しかし縁がなければ一人ですら殺すことができない。わが心が善いから殺さないのではない。また、縁があれば百人千人の人を殺すこともあるだろう」と言われました。


この問答の後に、【さるべき業縁(ごうえん)のもよおさば、いかなるふるまいもすべし】と親鸞聖人のお言葉があります。

つまり人間は、縁によって何をしでかすかわからないということです。


それならば、我が身の善悪、他人の善悪をとやかく言わずに、ただそのままを阿弥陀如来さまにおまかせしてお念仏を申し生きていく他にはないとのご教化(きょうけ)でありました。


いかがでしょうか。とかく、私たちは自分はいつも正しくて、周りが間違っているかのような立ち振る舞いをしていないだろうか。誰でもないこの私こそが、一番危うい存在だと仏さまは見抜いていてくださるのです。

だから、この度早く浄土に生まれさせて安穏な私にしたいとの願いなどではなかったのでしょうか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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