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お酒が入ったら人が変わる人間が堕ちる地獄(叫喚地獄)

皆さま、こんばんは。

七月もあっという間に過ぎ去ろうとしています。また盂蘭盆会の季節がやってきます。

世間では、また地獄の釜が三日間開いてご先祖が帰ってくるという風習が始まるのですか。

浄土真宗のみ教えに遇っていて仏法を聞き、南無阿弥陀仏のお念仏を称えながらの日暮らしをされている方には関係ないかも知れませんね。


地獄へ堕ちる人間についてご紹介します。

この度は[酒が入ったら人が変わったようになる人間が堕ちる地獄=叫喚地獄]をご紹介します。お酒が好きな皆さまは、どうぞ他人事と思わずに読んでみてくださいね。


普段は明るく優しくておとなしい人です。

それが一旦、お酒が入ると人が変わったようになる。よく聞く話ですよね。私は晩酌もしないし一人ではお酒は飲めないのでよくわかりませんがたまに見かけます。

これから話すのは可能性があるという話です。


〈鉄棒をもって頭を打ち•••••あるいは熱き鍋に置き、反復してこれをあぶる〉


召喚地獄であります。

文字通り、喚き叫び続ける世界であります。

黄金色の異様な体を真っ赤な着物で包み、目から火を吹き、長大な手足で風のように走り回っています。そういう威嚇を伴いながら、地獄の番人はもの凄い音声で罪人を叱り飛ばす。

罪人は恐怖に土下座をし、頭を垂れてひたすら憐れみを乞うという。

しかし番人は泣き言を聞くと、いよいよ怒りを激らせて、巨大な手で罪人を押さえつけ口を開かせようとします。罪人は何をされるかわかったものではないから、懸命に口をつむんでいると業を煮やした番人は、大きなヤットコをあてがって強引にこじ開けます。


「ぎゃっ」と罪人が叫んだ刹那、その口に熱湯が注がれる。それもただの熱湯ではありません。数百度に達した煮えたぎった銅汁である。

普通の人間であれば一瞬にして悶死する。

だが罪人は死者ですから不思議に健全そのものです。健全のまま、銅の熱湯が喉から食道を通って胃に入り、十二指腸から大腸に次々と焼き尽くしながら肛門から出てくるのです。

[想像しながらどうぞ]


表面の体はそのままで、その苦痛のみが内部を通過するのだ。

罪人はたまりかねて閻魔大王に号泣しながら直訴します。

「閻魔さまは、なぜこんなにも無慈悲なのでしょうか。なぜこのような酷い仕置きを番人に命じたのですか。私はか弱いただの人間です。ただ気持ちが弱かっただけなのです。だから少しくらい同情してくれてもいいではありませんか。」


「こやつ何を言うか。お前は今、自分が欲しいままの行為に対する報いを受けているに過ぎないんだ。そんなお前が私を逆恨みするのは筋違いというものだぞ。」


「なぜお前は、その時に自分を諌め、改めようとしなかったのか。自分で自分の弱さに何度も気づいたはずだ。機会は何度もあったのに、お前は自分に甘く周りを見ずに改めようとしなかった。それなのに今になって後悔しても遅いのだ。」


罪人の顔は青ざめ、泣き声から絶叫に変わった。

しかしかな、罪人は自分の過ちを他人のせいにしたり、周りのせいにして自分の非を認めることが心底からはなかなかできないのです。

だから長い間、責苦に遭うのだそうです。


いかがだったでしょうか。

お盆に三日地獄の釜が開いてお迎えなどする暇があったら地獄に堕ちねばならないおいわれをしっかりと聞いて、自己内省に努めながら生きていくことを大切にしたいものです。


そういえば、夜遅くに散歩をしていると電話ボックスの電話が鳴り響くことがあります。

初めての時は本当にびっくりしましたね。

その話を翌日父に話すと、「それは地獄へ真っ逆さまに堕ちているご先祖が、地獄などに堕ちるような生き方をしてはならんぞ!」と、我が子を心配して電話してくれたんじゃないかと父は教えてくれました。


親とは有り難いものですね。


皆さまのご先祖も、皆さまに何かを通して地獄へ堕ちねばならない人間の愚かさを教えてくれているのではないでしょうか。

そして阿弥陀さまに遇ってくれと願っておられるのではないでしょうか。


盂蘭盆会を前に皆さまには地獄は人間(私)が作り人間(私)が堕ちるんだと認識していただきたいですね。

大丈夫ですか、自信を持って自分は地獄へは堕ちないと言えますか?

南無阿弥陀仏、

南無阿弥陀仏

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