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いつでもどこでも誰にでも

皆さま、こんばんは。

台風の影響はいかがでしょうか。

法務は14日に一つキャンセルになりましたが、新たに一つ予定が入りました。嬉しいことではありますがこればかりは台風の進路次第でもありますかね。


今年はおかげさまで数は激増してはいませんが空白は少ないので助かります。

ただ私の体調がすこぶる悪くて必要最低限しか対応できずに今月はまだ月報が発行、発送できずにいます。これは超法寺始まって未だ無かった事態であります。

皆さまにはご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。一人体制維持の限界なのかも知れません。ご門徒の方々のお力がまさに必要となったようです。


今夜はライオンズが嫌〜なサヨナラ負けをしたために落ち込んでいます。


真実には程遠い生き方の私ですが、南無阿弥陀仏に励まされている中で何とか微速前進の昨今であります。様々な方々にご迷惑をおかけしております。あ〜情けない。


十方衆生、私や皆さまには南無阿弥陀仏の仏さまが、仏さまの清浄真実なる心が常に届けられています。

親鸞聖人は、「すべての人間は、煩悩と悪にけがれて、清らかな心は無い。嘘とへつらいと偽りの心で、真実の心は無い。」と言われています。

自分にきれいな心が、真実まことの心があると思われれば、その心を具体的に想いうかべて、それが本当に清らかでまことの心なのか、深く考えて見てください。


「親思う心に勝る親心、今日のおとずれ何と聞くらん」《吉田松陰》


処刑される前、家族にあてた手紙に書いた歌です。

我が子を思う親心は、損も得もない、きれいなまことの心と思われます。

しかし、この親心も我が子に対してのことであり、やはり真実とは言えないのでは無いでしょうか。

そもそも我が子を持たぬ私には想像しか出来ませんが。


しかし人間の親心も真実では無いと、思わせる心は、まことの心ではないでしょうか。

親鸞聖人のお言葉を、まことと頷く心は、清らかなまことの心ではないでしょうか。

きれいな心の無い私にきれいな心がある。

まことの心のない私にまことの心があるのです。いつでもどこでも、誰に対してでも、我が身を捨てて相手の身になる仏さまが、あなたや私に常に届けられているのです。


阿弥陀さまを仰ぐ中にこそ、まことの心はあるのだと私は思います。

阿弥陀さまを離れた途端、まことの心は無くなります。そのことをお互いよく味わわせていただきたいですね。


明日は15時から写経会を開催します。

是非お越しください。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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