善光寺の回廊巡り
- 超法寺の住職

- 2024年1月29日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんにちは。皆さまは長野県の善光寺へ行かれたことはありますか。
私は二度お参りしました。幼少時、親族会で、そして実家寺にいた時にご門徒さん
を連れて行きました。善光寺は親鸞聖人もお参りされたお寺であります。
松の木があるので当時の親鸞聖人を偲ぶことができます。
善光寺は誰もが等しく極楽往生が叶うお寺として、古来から多くの方々が崇敬されてきたお寺です。ご本尊の一光三尊阿弥陀如来は、死ののちに極楽浄土へと導いてくれるだけでなく、現世においても生きる上での貴重な教えを授けてくれるという有難い仏さまと言われています。
子どもの頃行った親族会旅行で善光寺の「お戒壇巡り」を初めて経験しました。
子どもだからでしょうか暗い道中も楽しかった記憶があります。
この「お戒壇巡り」は、ご本尊下の真っ暗な回廊を巡ることで、秘伝のご本尊と結縁できるとともに、死の疑似体験ができるというものです。
短い階段を降りると、真っ暗なやみでした。これほどの暗闇はまず経験することはないでしょう。子どもの時はただウキウキで恐怖すら感じることがなかったです。
途中にある錠前に触るとご本尊、阿弥陀如来につながるというものです。
つまり極楽往生ができるというものです。
これが大人になって行った時は実に恐怖でありました。一筋の光も差し込まない真っ暗な回廊を恐怖が支配して子どもの頃、簡単に触れた錠前に、気づきもしなかった。
早く光と求めるばかりでした。
善光寺の回廊は真っ暗ですが、お浄土への道は真っ暗な恐怖の道ではありません。
阿弥陀如来に抱かれて光の中にある。もちろん来迎を待つこともありません。
あくまでも疑似体験であって実際とはきっと違う世界なのでしょう。
もちろん、地獄へ行かねばならない人たち(阿弥陀さまにお遇いすることのなかった人)は暗い道中を守り刀を手に一人で歩まねばならないのでしょうか。
ぜひ一度、善光寺へお参りして一人で歩む不安と苦しさを体験してみるのもいいでしょうね。
この話をして、「じゃあ、あまり意味はないですね。」と言われた方がありましたが、そうでしょうか。私は暗闇の回廊は出る時の「光」にどれほどの安らぎを感じたでしょう。ホッとできた、これがお救いに出遇えた境地ではないかと思うのです。
この暗闇こそ、無常世界を生きている私たちの人生。光は阿弥陀さまのお慈悲に出遇えた喜びの姿ではないでしょうか。ですから、この世が暗闇と理解のできない方、この世が最高の幸せな世界と誤解している方には到底知ることのできない世界かもしれませんね。
私たちの人生の暗闇は、「生」・「老」・「病」・「死」であります。
生まれて生きる道は常に変わり続けます。若さも続きません。必ず老いていきます。
どんなに健康に気をつけていても病気になることは避けられません。そしてどれだけ長生きをしていても必ず死んでいかねばなりません。避けることはできないのです。
ずっと不安がつきまとっています。これから逃れることはできないのです。
この真理を知ることは仏教の教えに遇う他はありません。
たとえ仏教の教えに出遇っても、受け入れていくのは実に難しいことです。
「五戒」すら実践することができないのですから。
やってもやっても地獄(自業苦)生きから逃れられない生き方です。
他人事ではありません。この私がそうなのです。お恥ずかしいですね。
それでも幼少時に、親族会旅行という企画で善光寺へ連れて行ってくれた伯父ちゃんには感謝ですね。良い経験をさせていただきました。幸せでした。
皆さまも子どもさんやお孫さんにはこのような経験をさせてあげてくださいませ。
それがきっと、仏の子を育てることになることでしょう。
ナンマンダブツ。



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