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恩徳讃

浄土真宗では欠かさず唱和されている親鸞聖人が書かれた恩徳讃です。

それだけ身近ですが意味をよく知った上で改めて味わってみたいものです。

恩徳とはご恩で、多くの方のおかげで生きていくことができます。

「誰に恩を受けていますか?」と言われたら先ず両親、友人、恩師などさまざまであります。


仏教では人間の価値(どんな人が立派な人間か)は、知恩・感恩・報恩の気持ちで決まると言います。

逆は忘恩・背恩・逆恩です。

忘恩は受けている恩を流し忘れる。

背恩は恩に背く。

逆恩は恩を仇で返す。


お釈迦さまは、恩を知らざる者は畜生より甚だし」決して恩知らずの人間になってはならない。恩を知らざる者は犬や猫、動物以下であるぞと厳しく教えられています。


恩徳讃での恩とは如来大悲師主知識からの恩です。

如来とは阿弥陀如来です。大悲とは大慈悲ですから、阿弥陀如来の大慈悲です。

阿弥陀如来の大慈悲を教えられたお釈迦さまの教えを聞いて、本当の幸せになった人は、如来大悲に深くご恩を感じるようになります。

もちろん身を粉にすれば死んでしまいます。

それほど深く如来大悲の恩徳を知らされ、知恩・感恩・報恩の幸せな人生を歩むようになるのです。


師主知識とは仏教の先生ということです。

如来大悲を伝えてくださった仏教の先生のご恩も深く知らされ「骨を砕きても謝すべし」と言われます。

○浄土真宗では、本当の幸せになった人はその喜びから、まだそうなっていない人は早くそうなれるようにと思い昔から恩徳讃が歌われてきたのです。


また五七五であることが覚えやすいということでもあるそうです。

皆さまも歌を聴いて、歌って覚えやすいフレーズは五七五でできているのをご存知ですか。


どうぞ親鸞聖人がこの恩徳讃をどのような思いでお作りになったかを日頃からの仏法聴聞の中で知っていただきたいと思います。

そして何よりおはようございます、こんにちは、ありがとう、おやすみなさいの挨拶を常に忘れずにいることも恩徳讃の心ではないかと思うのです。

言葉を語ることになり一番大切な挨拶を忘れるようでは情け無いと私は思います。

特に僧侶たる者は、お聴聞くださる方への感謝と喜びを当たり前ではなく申し訳ない、有り難いという念を持ちながらいたいと私は常に思っています。

おやすみなさいませ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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