光の道
- 超法寺の住職
- 2 日前
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皆さま、こんにちは。
今日は初夏の陽気でした。
当初は広島へ行く予定でしたがさまざまな事情で延期になりましたので、我が家の家族サービスでおでかけしてきました。
海無し県に暮らすために普段はなかなか海が身近にありません。やはり壮大な海原を見ると我が身の小ささを思い知らされます。
広大無辺と言われる阿弥陀さまの大慈悲はまさに大海原のようなもの。そして凡夫たる者は愚かなことにこのちっぽけな自身に大海原の阿弥陀さまを入れてしまおうなどという意味のわからないことをしながら生きているのですね。
宗祖親鸞聖人は【不可思議】とあらわされています。「おもうこともできない」大慈悲心であります。それをこうやって改めて大海原を見ると痛感させられます。
南無阿弥陀仏のお声は常に私とご一緒してくださいます。安心なことですね。
誰よりもこの私を心配していてくださるのです。
中国の善導大師は、「人に生まれて精進せざれば、たとえば樹の根なきがごとし。華をとりて日中に置くにいくばくの時かあざやかなるを得るや」と言われました。
人の世に命を受けながら、仏の教えを求めない人は、根のない樹のようなものです。
ホテルで食事をいただいていても、私以外で合掌をし食事の言葉を唱和している方は皆無でありました。私はこうやって育てていただきました。たまにお寺さんでも人前でするのが恥ずかしいなどと言われる方がありますが、私はむしろ食事の言葉を唱和しない方が嫌ですね。
目に見える対面ばかりを大切にしていてはいけないと思います。仏法という地面に心がしっかり根を張ってこそ、初めて潤いのある人生が開けてくると思います。
それをこの度の小旅行で再認識いたしました。開所して10年、ほとんど家族サービスをせずにきました。思い出を残すことも大切だと思います。明日からまた気合い入れて頑張ろうと思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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