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執筆者の写真超法寺の住職

親のいない誕生日

おかげさまにて、また一つ歳を重ねさせていただきました。

お恥ずかしいながら、昨年の誕生日まで父は毎年、私の誕生日にお祝いをくれていました。

この歳にもなって親から祝いをもらうなんて•••などと思っていたが、今となっては何とも有難いことであったかを痛感しています。

父はどのような想いでしていてくれていたかは実際わからないが、父の優しさがたまらなかった。口は相変わらず悪くて言葉を聞くのは嫌でした。

私は父の日と父の誕生日にはプレゼントをしていたが、父はとても嫌がっていました。

しまいには、FAXで「プレゼントは要りません。お祝いの言葉だけで十分だから」と送りつける始末でありました。

その煩わしいFAXも、もう二度と送られてくることはありませんね。

お母さんにも、母の日と誕生日にはお花を買って送っていた。母が喜ぶ顔がいつも私の喜びでした。実家を出てからは母はお礼の葉書を送ってきました。達筆?笑なため解読するのが大変でした。

私の父は力強い字でしたが、母はお世辞にも達筆とは言えませんでした。私は父から才能はいただけず、母からをいただきました。

それでも母は死ぬ前に「お兄ちゃん、本当に字が上手になったよ」と、言ってくれました。

親バカですよ。

それでも本当に嬉しかった。

母はいつも肯定から言葉にしてくれていました。父は逆だけど。


皆さま、どうか子どもさんには肯定から言葉にしてあげてくださいね。

子どもは何でも否定されると卑屈になります。

親なればこそ、我が子が頑張ったのか、そうでなかったのかはわかるはず。

できなくても頑張っていたなら、先ずは頑張ったね、偉い偉いという言葉をかけてあげましょう。逆にやれるのに頑張らない時は怒らずに、やったらできるんだからやってみようよ、って声をかけてあげましょうね。


きっと親思いの素晴らしい子どもが育つはずだから。

私はできない子どもだったから。

やってもできない、それを父から叱られ、怒られる。卑屈になって余計にやらずに諦めてしまって今の私があります。

親が嫌いな子どもはいません。

親が大好きなのに、それを親が拒絶するから子どもは苦悩するのですよ。


【包む】

この字は、母が子どもを抱いている姿からきていると聞きました。

ずっと母子は一緒でした。


そして今も、母は南無阿弥陀仏と、私を抱いていてくださいます。


【釈迦弥陀は慈悲の父母 種種(しゅじゅ)に善巧(ぜんぎょう)方便し われらが无上(むじょう)の信心を 発起(ほっき)せしめたまいけり】〈和讃〉


◉左訓

シャカハチチナリ ミダハハハナリト タトエタマエリ


発起せしめたまいけり

◉左訓

ヒラキオコシタモウナリ



※私はこの和讃が大好きです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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