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執筆者の写真超法寺の住職

若き血をたぎらせ

更新日:2023年8月23日

皆さま、おはようございます。

昨夜は久しぶりに雷雨が降っていましたね。

おかげさまで少し気温が下がったように感じます。しかし今日は夏の高校野球の決勝戦です。

連覇をかける王者仙台育英対若き血を激らせる慶応義塾とのまさに熱い戦いがあります。

このカードは春のセンバツの再戦でもあり、慶応義塾のリベンジなるかがカギになるでしょうか。


慶応義塾といえば、すっかり耳に焼きついた『若き血』ではないでしょうか。

「若き血に燃ゆるもの 光輝みてる我等 希望の明星 仰ぎて此処に 勝利に進む我が力 常に新らし 見よ精鋭の 集うところ 烈日の意気高らかに さえぎる雲なきを 慶應 慶應 陸の王者 慶應」

すっかり耳に焼きついています。感動すら感じます。今日は何度この応援歌を聞けるだろうか。

今まで東京六大学野球には興味がなかったけど、慶応義塾の熱い応援がこれほどとは思いもしませんでしたが、団結力の素晴らしさに感動を覚えていますよ。

今までは早稲田実のイメージばかりありましたので慶応義塾もまったく負けていない、むしろ大応援団の盛り上がりには心が踊らされます。

今は慶応義塾も野球に力を入れているそうなので、いずれは甲子園で慶応義塾対早稲田実の夢の対戦もあるでしょうね。楽しみ。


それから早稲田の校歌はどこの学校も同じなのはビックリしました。きっと塾歌みたいなものなのでしょうね。

慶応義塾は神奈川大会で逆転ホームランで勝利に導いたが甲子園で調子を落としている渡辺千之亮選手の活躍がカギになるのではないでしょうか。延末選手のバッティングも期待しています。仙台育英は投打にそうがないからミスをしないように大応援団を味方にして頑張ってください。清原選手の起用も大きな影響を与えるかも。ワクワクします。

※『若き血』を作詞、作曲された堀内敬三さんはあの浅田飴の御曹司なんだそうです。


野球大好き超法寺住職でした。


さて、アンチ仙台育英とか、伝統の慶応義塾に勝たせたいなどスポーツ紙にも掲載されるように、私たちは皆、自分に関わるまわりのもの(自分も自然も含めて)すべてを【自分の思い通りにしたい】という願望を常に持っています。その願い、望みが叶ったとき、「幸せ」と思うものなのでしょうね。

さて、思い通りになりましたか?


【人生は苦なり】

「苦」とは、「思い通りにならない」ということです。

人間は自分の心も身体も思い通りにはなりません。

自分が自分の思い通りにならないのですから、他のものが思い通りになるはずがありません。

「苦」の原因は、「思い通りにしたい」という、その「思い」にあるのです。

その「思い」が縁起•無常•無我という仏法に背いた、自己中心の我執我欲(がしゅうがよく)の【煩悩】なのです。


人生「幸せ」もあります。

しかしそれも縁起•無常•無我なるものであれば、続かないのです。必ず崩れるのです。

だから「苦」から離れられずに悩み、不足になるのが人間の生き方なのです。

それなのに仏法を知らない人は自分は賢いとか、自分は間違いないと錯覚して生きているから余計にタチが悪いのですね。


私の恩師は常々、「長の肩書きがある人はお寺に参らないのだ」と言われます。

頭を下げる人はお寺に参るが、頭を下げずに頭を下げてもらう立場の人はなかなか寺には参らんとおっしゃっていますがどうでしょうか。


ところで世の中、欲の塊の人間の「思い通り」になったらどうなるのでしょう。お互いに深く考えてみましょう。

人生、思い通りにならなくてよかったのです。

「苦」なればこそ、南無阿弥陀仏にも遇え、自己を深く省みて反省して、煩悩具足の我が身を知り、苦悩なき世界[お浄土]を願うようにもなるのです。

この私がどうしてお寺なんかに足を運び、お念仏を申すようになったのだろうか。


苦あればこそ、苦なればこそ、他を思いやれるそんな優しい私に(人間)にもなれまのです。

お父さん、お母さん、有難う。

あなたたちのおかげでありますよ。


今日も一日、南無阿弥陀仏を口に称えながら強く明るく生き抜きますよ。

ありがたや、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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