皆さま、こんばんは。暑かったですね。
先程、東京ドーム前から帰院しました。
ちょっと楽をしてラビューで帰りました。
普通に混雑していましたよ。
新型コロナはまだ終息してないのに。
それでも私が見る限り、マスクしている方は多数派のように見受けられましたよ。
さて今日はなかなか電話が鳴らずに静かな時間が流れました(珍しい)
それでも私は七件のご相談をお受けしました。
ほぼ日常の悩み、苦しみで、浄土真宗の担当だというのに他宗のご縁者が多かったです。
お一人、「なぜ仏教は蓮の花を大切にするのでしょうか?」という質問をいただきました。
皆さまは、こう尋ねられたらどうお答えになられますか?
仏教には【泥中蓮】という言葉があります。
つまり蓮は清流には咲かず、泥を吸って美しい花を咲かせます。
泥は人間の持つ【欲望、煩悩】、蓮は【仏さまのさとり】を表します。
煩悩から逃れられない人は、死んでも悟りに至ることはできません。
【死ねば仏】は、【南無阿弥陀仏をお称えすることにより阿弥陀如来の大慈悲のはたらきにのみ救われる】のです。
せっかく人間に生まれてきても、阿弥陀さまにお遇いさせていただくことが無ければ、また地獄かはやり直しになるやもしれないのですね。
宜しいんでしょうか。
他人の話じゃないんですよ?
あなたが行く【自業苦】ですぞ。
阿弥陀さまは、死ぬまで煩悩から離れられない凡夫を救いのど真ん中に据えてくださいます。
それでも、逃げたり、疑ったり、背を向けたりしたらご先祖が悲しみますよ。
煩悩具足の凡夫(人間)が唯一、極楽浄土へ行くことができる道は、【南無阿弥陀仏】を称えるしかないとお釈迦さまや、法然聖人、親鸞聖人はお勧めくださいます。
さぁ、明日はどっちだ?
阿弥陀さまに遇ないのか、受け入れていくのか、選択はあなた次第であります。
それでも七名の方々と仏縁を結ばせていただきました。苦しい時、悲しい時、南無阿弥陀仏と声に称えてみてくださいね。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏
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