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執筆者の写真超法寺の住職

拝む前に拝まれている私

皆さまこんにちは。

ハッピーバレンタインデーですね。

愛されている方からの告白にワクワクドキドキされていらっしゃいますか。

貴重な愛情表現を大切になさってくださいね。


さて、この度は石見(島根県)の妙好人、有福の善太郎(1782〜1856)さんが、

【おがんで たすけてもらうじゃない おがまれてくださる 如来さまに たすけられて まいること こちから おもうて たすけてもらうじゃない むこうからおもわれて おもいとらるること この善太郎】と詠まれていらっしゃいます。


私たちはとかく、こちらから仏さまを拝んでいると思いがちですが、実はそれよりも先に仏さまの方から私たちを拝んでおられたのですね。

善太郎さんのこの言葉は、こちらから思う前に仏さまの方から思われていたことに気づかれたお味わいなのですね。


これこそが他力(如来のはたらき)そのものであり、よくお寺参りを重ねてご法話を聴聞された善太郎さんの法味をありのままに表現したのでしょう。


浄土真宗のみ教えは易しいと思われがちですが、実はとても誤解しやすいこともあります。

私は『歎異抄』を主に取り次いでおられる方によくありがちなことだと思います。

私たち浄土真宗の僧侶たる者は、やはり『教行信証』に問うていくことが必要だ思います。


蓮如上人は、『歎異抄』は「諸刃の剣」と表現され仏法をお聴聞されない方には『歎異抄』を勧めることはされませんでした。


お念仏称えたから救われるんじゃありません。


称えまい、称えまいと思っても、不思議に私の愚痴の口から、他人の悪口は軽々と語れる口から、南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのですね。

これこそ阿弥陀如来さまのご苦労の賜物ではないでしょうか。


コロナの咳は困りますが、お念仏の咳はいつでもどこでも何度でも好きなだけしてください。


あなたのことは阿弥陀が引き受けた。

どうかまかせてあなたらしく生きてくれ。

南無阿弥陀仏とお念仏申すあなたになってください。阿弥陀はいつもあなたと共にありますよ。


私を救う、私をしあわせにする願いだけで仕上がっている阿弥陀如来の願い(ご本願)であります。

それを知ることができた私がさせていただくことは、ただ感謝する姿だけじゃないでしょうか。

それこそが、声に出して南無阿弥陀仏と御礼しましょう。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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