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我が子に与えた「財産」

皆さま、こんばんは。

今夜はサッカーWカップ予選サウジアラビア 戦が埼玉アリーナで行われて日本が2-0で快勝しましたね。内容的にはあと2点は取れそうだったですけど。相変わらずの決定力不足。

ま、それでも勝ちましたので良かったです。


さて、今日はお釈迦さまのお話から、

わが子に与えた「財産」をご紹介します。

皆さまは可愛いわが子にどんな財産を与えましたか?または与える予定ですか?


《お釈迦さまの妻、ヤショーダラー妃(耶輪陀羅)です。子供はラーフラ(ラゴラ)。

お釈迦さまの妻ヤショーダラーは、いささか気の強い女性だったようです。

お釈迦さまが彼女やわが子ラーフラを宮殿に残して出家されたとき、彼女はこのように言ったと伝えられています。

「あなたが、ついておいで、と言われたなら、わたくしはどこまでもお伴をしましたのに、あなたと一緒であれば、わたくしは耐えることができましたのに、あなたは、ただ独りで出ていかれました。きっと、あなたは苦行を積んで仙人になり、天女と遊ぶ楽しみを自分一人で味わおうとされたのですね。憎い、憎いあなた。」


当時のインドには年老いた夫婦が一緒に家を出て、遊行の生活をする風習がありました。

にもかかわらず、お釈迦さまは、一人で家を出て行かれました。妻は、そのことを恨んでいたのです。


お釈迦さまは何度も釈迦国に来られます。

もっとも、お釈迦さまは故郷の釈迦国に帰って来られても、宮殿に足を踏み入れることはありません。ただ、カピラ城の街を托鉢に歩かれるだけです。


そこで、ある日、ヤショーダラーはラーフラを連れて、カピラ城の街に出かけます。

そして遠くから来られるお釈迦さまの姿を見て、聞こえよがしに息子に言いました。

「ラーフラよ、あそこを歩かれる方が、お前のお父さんですよ。わたしとおまえを捨てられた憎い人ですよ。」

なぜ、そのような言葉が出てきたのかヤショーダラーにはわかりません。言葉が勝手に飛び出たのでした。


「あのね、息子は父親から財産がもらえるのですよ。だから、行っておいで。行って、わたしに財産をくださいと、お父さんにねだっておいで•••••」


彼女は、わが子の背中を押します。

ラーフラは父親のもとに走って行きます。

そして、教わったとおりに言いました。

「お父さん、ぼくに財産をください」


お釈迦さまは、わが子の手を取りました。

そして、無言のままラーフラを連れ去りました。そのときラーフラは16歳でした。

未成年ですから、正式の出家はできません。

それで、お釈迦さまはラーフラの教育を弟子の舎利弗(シャーリプトラ)にまかせました。

やがて成人したのちに、ラーフラを出家させたのです。


お釈迦さまは出家者だから、なんの財産もありません。

息子を出家者にすることが、父親としてのお釈迦さまが与えることのできた「財産」だったのです。

〈『お釈迦さまの生涯』ひろさちや著〉


※私は父からいただいた「財産」は、【都市開教に従事し、さまざまなものからの解放をしてくださいました。】

感謝と恩返し。

必ず、包括寺院となり前ご門主へ恩返しいたします。

父が「光真寺」と寺号公称したかった夢を私が必ず引き継ぎます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



ラーフラ

サンスクリット語でラーフラ、漢訳経典ではラゴラと音写されます。

密行第一(戒律を細かく厳密に守る)

と称され、十大弟子の一人に数えられる釈尊の高弟。釈尊とヤショーダラーの子。

舎利弗(シャーリプトラ)のもとで修行する。釈尊の実子であることに驕らず、学ぶことを好んだため、学習第一とも称される。


ヤショーダラー妃

サンスクリット語でヤショーダラー、漢訳経典では耶輪陀羅(やしゃだら)と音写される。釈尊の妻でラーフラの母。

釈尊が女性の出家を許したとき、釈迦族の他の女性とともに出家し、比丘尼のなかで懺悔第一と称されたとも伝わる。

余談だが、釈尊の妻には、他にバッダカッチャーやゴーバー(ともにパーリ語)など名が挙げられ三人の妻がいたとも伝えられる。


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