皆さま、おはようございます。
今朝も爽やかな朝を迎えています、おかげさまですね。
今日も生きていくことを許されました。
後どれくらい許されるのでしょうか、わからずにも今を精一杯過ごしていこうと
思いました。今日は「ワンちゃんの日」だそうですね。11月1日でワンワンワン、日本人って本当に語呂合わせが好きな民族ですなぁ。南無阿弥陀仏。
さて、昨日は築地本願寺開教担当がお寺に来られて長時間、ホームページの引き継ぎ
や今後の超法寺の法人化への手続きについてお話しくださいました。
またホームページの管理にお力添えをくださるS様もお忙しい中、Moka Marroのシュークリームをお持ちくださいました。娘さんの嫁ぎ先のお店です。
入間市下藤沢3-26-18(牛角の隣)です。住職も甘党なのでたまに購入しています。
是非お越しくださいませ。西武池袋線武蔵藤沢駅ロータリーをまっすぐ行ったとこにあります。宣伝です。
超法寺は未だに借家の一軒家で寺院活動をしているため正式な拠点ではありません。
ここも7年目になるので愛着はあるのです。宗教法人化のためには自己所有物件が必要の為、物件探しが急務です。手軽な物件をご存知の方は教えていただきたいです。
先ずは所轄庁にご挨拶をさせていただき今後の進め方や揃える資料などについて教えていただくことが必要なのです。また責任役員の選出も必要不可欠なので一緒に超法寺を歩んでくださる方にお願いしたいのですがこれがなかなか大変な作業です。
やっぱり責任が伴いますと及び腰になるのは仕方ありませんよね。
でも超法寺は大それたお寺にするつもりはありません。
身近で親しみやすいアットホームなお寺を考えているので、「誰もが笑顔になれる」お寺になれたらそれだけが希望なのです。不安がいっぱいのご時世です。
そのような不安の中、み仏さまを仰ぎながら自分らしく生きていく。
悲しみや苦しみ、孤独感を抱えて友達もいない、笑い合える仲間もいない、
そんな皆さまの寄り合う場になりたいと超法寺は思っています。
自分のネガティブな思いを吐き出してポジティブに生きていこうと試みる、
そんな世界が超法寺には、南無阿弥陀仏のお心にはあるのです。
不可思議なおはたらきがございます。
「浄土の慈悲」
「念仏して、いそぎ仏(ぶつ)になりて、大慈大悲心(だいじだいひしん)をもって、おもうがごとく衆生を利益(りやく)する」
難しい言葉ですよね。
つまりはお念仏したらいいんですか、と思うんですよね。
私たちはどんなに知恵をしぼったところで人々を完全に救いきることはできません。
お念仏して仏になったら、何かスーパーパワーをいただいて、自分の近い人を思うように助けていけるのではないかと思うのですよね。
ところがそうはならないですよね。自分の思うようにしたい人はダイレクトにそれを感じられなければ不満になり不足に感じて相手に嫌な表情を見せていきます。
これのどこが慈悲なんでしょうか。
結局、意味なんてないじゃないですか。
そう思いませんか?
お念仏して救われましたか?と尋ねると皆さん、無表情になります。
ノーリアクションです。
でも、お念仏してありがたいですよね、というと賛同されます。
仏法不思議の世界は、私が納得する中に救いがあるのではないんですよ。
それを、どうにかしてお救いを自分でこの手につかもうとしてしまうのが凡夫(人間)の浅はかな姿なのです。
頭で理解しないと納得しない。理解できないと喜べない。
これではいつまで経っても浄土真宗のみ教えがわからない。
難しいのですよね。聞いたままをそのまま喜ぶ世界と言います。
なんのこっちゃ、わからんで。わかるように説明してくれ。
そうすればするほど実は広大無辺と言われる阿弥陀さまの慈悲のはたらきが、
ちっちゃくなってしまうのです。
もちろん、ちっちゃくしているのは阿弥陀さまではなく、自分の頭で理解できないと困る、私たちの側なのですよ。
最近、ある仏壇屋で一万円のお仏壇が発売されて大ヒットしているそうですね。
まるでお守りのようなサイズ感が人気なのでしょうか。
私にはわからないな。
『臨場』の倉石さんの名台詞じゃないけど、「俺のとは違うなあ」です。
恩師はお念仏はいつまで称えたらいいんでしょうかの問いに、「宝物になるまで」とおっしゃいます。これがほんまもんじゃないでしょうか。
なんかお念仏称えたら嬉しくなるとか、ありがたく思えるとかはこっちにおいてしまっているんじゃないかな、と思っています。
例えば、私たちがお父さん、お母さんを呼んだらありがたいなんと思いますか?
きっと思わないと思うんですよ。頭で考えて呼んではいない。
そんなものではないでしょうか。
これまたわからないのでしょうね。
南無阿弥陀仏は
わかったらいいんじゃない。
わからんでもいいんよ。
わからんまんま、おはたらきが私の口から私の声言葉になって南無阿弥陀仏となって
出てくださるのですから。それでいいんです。
わからんまんま、知らないまんま、そのまま救うから心配するな、まかせよと、喚び続けてくださるのだから。
それを無理に納得させようとするかしんどくなってしまうのですよ。
そのまんま、そうなのです。
称えたから救われて安心するのじゃないんですよ。
だって、もう十劫もの昔から喚び通しに喚んでいてくださったのですから。
そのまま、そのはたらきがさまざまな生きる中から知らされ、教えられてきたのです。親が我が子にそうしたように。
そんなことを思いながら今日も歩んでまいります。
皆様も阿弥陀さまを仰いでみてください、きっとほっこり生きれますよ。
南無阿弥陀仏
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