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宗教の「宗」の意味

今年も毎日欠かさず歩いています。

うちの子たちのおかげであります。

皆さまも10分でもいいから歩く習慣を身につけましょう、継続は力なりであります。

歩いてみますと色々な発見がありますよ。


帰省でしょうか、団地にたくさんの車が停められています。相変わらず車の後ろや車内のバックミラー辺りに「お守り」が見えます。

効果はあるのでしょうか。

私は本当に効果があるなら標準仕様になっているはずか、オプションで設定されているはずだと思っています。どうでしょうか。

でも、ちらほら全く「お守り」らしいものが見られない車も見かけますが、浄土真宗のご門徒さんなのでしょうかね。

スッキリしていいものです。


世の中の人々は宗教をどのように思っているのでしょうか。

「仏さまや神さまに祈り拝めば、人生がうまくいく」、「神や仏や先祖を大切にしていれば、不幸や災難に遭わない」、「神や仏の力で、不幸や災難から救われる」、「神や仏にすがって、自分の思いや願いを実現する」•••そんなことを思っているのでしょうか。

仏さまや神さまに手を合わせて、祈り拝めば人生がうまくいくのであれば、不幸に泣く人などおられません。

こういうことを言うと、「その人は真剣味が足りないからだ」、「雑念があるから聞いてもらえないんだよ」、「お賽銭が少ないから聞いてもらえないんだよ」とか言う人があります。

とかく人間ってわがままにモノを言い、平気で神仏に手垢をつけるものです。情けないな。


さて、宗教の「宗」という字は、【中心】、【最も大切なもの】という意味です。

すなわち、「私にとって最も大切な教え」、「私の人生の中心となる教え」を宗教というのです。

これさえあれば、どんな不幸や災難に遭っても、迷うことなく我が身を見失うことなく生きていけます。

これさえあれば、安心して死んでもいけます。


こう言える教えを宗教というのです。

ということは、「地獄に落ちるのが嫌なら献金しろ!」などと脅す行為は宗教の名を借りた邪悪な団体なのです。無知な信仰で損得に目を意奪われてしまうから巡り巡り不幸になります。


中村久子さんは、

「棚からぼた餅式の信仰や、タタリの信仰、オハライ的信仰に入らなかった最大の原因は、自らの『身の事実』が甘さやごまかしを許さなかったのです。」


「渡る世間の鬼のような人々も、自分を鍛えてくれた尊い仏たちであった。そして、自分に温かくしてくれた人々は、不幸な方々にはこういう思いやりの心で接するのですよと、教えてくれた仏さまであった」


素晴らしい仏さまのみ教えに今年こそ遇ってみませんか。聞かなかったことを後悔しないように「今」を大切にしてください。


お守りなんか買わなくても、安心して生きていける世界があるのですよ。

浄土真宗のみ教えを聞いているのに、【疑心】ある人は、お守りを手にしないと安心することができません。悲しいことです。


「お寺にはお守りなんかないでしょう」

「庫裡(お寺さんの住居)にはあるはずだ」

そんなことを言うのだから情けないです。

人間って、どうしても自分は正しい、自分以外が間違っていると言いたくなる。

だから、み仏のみ教えを真摯に聞いて生きていくのです。


阿弥陀さまは、まかせよ救うとおはたらきくださいます。

まかせるのは私の都合に合わせてではないのですよ。ぜ〜んぶ、まるごとまかせたらいいんですよ。


南無阿弥陀仏

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