地獄湯と極楽湯が隣同士に並んでいました。
両方とも同じ広さで、同じ人数が入っています。両方とも満員です。
地獄湯では皆がケンカをしています。
「肘がぶつかった」、「お湯がかかった」それがケンカの原因です。
ところが極楽湯では、誰もケンカをしない。
同じ広さで同じ人数が入っているのだから、条件も地獄湯と同じであります。
それなのに皆、和気あいあいとしています。
「何でかわかるか?」
「そんなのわからんよ。」
「何でか、教えようか?」
「いや、いいよ•••」
「まぁ、聞いてくれよ」
聞く方にもプライドがあります。
無理やり言われて聞いてやったのです。
「それは極楽湯では皆が、他人の背中を洗うからケンカにならん。地獄湯では皆、自分で自分の背中を洗おうとするからケンカになるんだ。」
◉極楽湯では、AさんがBさんの、BさんがCさんの背中を洗います。
YさんがZさんの、ZさんがAさんの背中を洗うのです。皆が他人の背中を洗うことによって、結局は自分の背中を洗っているのです。
これを仏教では【因果応報】と言いますね。
⭕️人間は、ものの考え方一つで、自分の今住んでいる世界を極楽にもできるし、地獄にもしてしまうのですね。
その意味では地獄も極楽も、皆、私たちの心の中にあるのです。
そして、私たちが今、死んでいるこの日本という社会は、何だか地獄のような気がしてなりません。
皆が、みんな他人のことは、これっぽっちも考えずに(考えても、自分の好き嫌いや損得勘定により)自分のことばかり考えています。
だから信頼関係や仲間意識など芽生えるはずはありませんよね。
ほんのちょっとでも、他人のことを考えられるといいのに•••ね。
私はそう思います。何か悲しいですよね。
皆、巡り巡って我が身に帰ってくるのです。
他人を虐めればいずれ自分もそうなる。
仏法を聞く人でありながら、それでも好き嫌いでそうする輩は実に多いように感じますね。
阿弥陀さまを仰ぐと、そんな、ちっぽけなことなど意味がないことを知らされるというのにね。それでも未だに頑張っておられるのですね。
私は前を向いて生きていきますよ。
※地獄湯と極楽湯 ひろさちや著
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