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母の涙

我々人間の生き方は正しかったのだろうか。

今年一年を振り返っても人間の悲しさ、愚かさ、わがままな振る舞いに

どれだけの苦悩、涙が溢れたことでしょうか。

本当に人間をいきているのだりうか。

もしや「畜生」に成り下がっているのではないだろうか。

自身の生き方を改めて問い直し、自省すべきときではないだろうか。

そう思うのは私だけでしょうか。


【人は皆 裁判官 他人は有罪 自分は無罪】

SNSには、自分を棚に上げて他者を叱責、貶めるようなコメントが並んでいる。

いざ、○○でもして遺族が投稿者を訴えることになると逃げている。

卑怯者が多い。自分の発言に責任が取れないなら投稿すべきではないと思う。

これだけ問題となり、対策としてドライブレコーダー設置されているというのに、

未だに煽り運転は一定数いる。住職も結構やられている。

もちろん全部録画されている。車に悪戯もされているがこれも録画している。

いつでも関係機関に提出する用意はありますが、人は過ちを犯すものだから、

一度は堪えている。二度されたら仏様ではないため行動を起こしますよ。

だから二度は絶対しないでください。人生終わりますよ。


心当たりのあるあなた、いつまでも執行猶予はございませんからね。

今の画像はなかなか綺麗に写っていますよ。

そういえば最近は「バイトテロ」は聞かなくなりましたがなくなったのでしょうか。

年末年始、飲酒運転による死亡事故が起こりやすいです。人の命が安く扱われてきたようです。自分の家族が被害に遭ったら泣き叫び、加害者を責め、憎むのでしょうから、是非とも自分はしないようにお願いしたいですね。

人生が終わるよ。無宗教化がそうさせているのでしょうか。

昨今の新興宗教やスピチュアルなどは仏智で語られるものではありません。

人知で語る世界には「欲」でしかありませんから真実なものはございません。

十分注意してくださいませ。


さて、九条武子さんの】百人の(ももたり)、われに非難の火は降るも、一人のひとの

涙にぞ足る。】を味わいながらある事件の話をご紹介します。


「母の」

林養賢という少年僧が金閣寺に火を放った。驚きの朝が明けて、京都の街は悲しみに沈んでいた。戦争に打ち破れた我々の、せめてもの誇りであった金閣寺はあった。

いや、金閣寺を焼かないように戦争に負けてやめたのだ。

その母が思いをあげて京都駅に着いたとき、百人が百人、白い目をして見た。

目で射た。射られながら街を通った。少年の前に立って母は我が子を責めることができなかった。もう責めなくてもよかった。

翌日、母は肩をうなだれて京都を去った。山陰線で金閣寺近くを通過し、嵐山の鉄橋を渡るとき、汽車から川へ飛んで母は死んだ。泣いていただろう。


※1950(昭和25)年7月2日午前3時前、鹿苑寺(通称*金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し全焼した。犯人は21歳の金閣寺の従弟僧。本人の供述によると、当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、怖くなり寺の裏の左大文字山に逃げたそうです。胸を短刀で突き、カルモチン(睡眠薬)自殺を図ったが、果たせずにいたところを逮捕。懲役7年の判決を言い渡されますが、1955年10月に恩赦で出所します。再建された新生・金閣寺の落慶法要から20日後のことでした。

そして、半年足らずで肺結核で26年の生涯を終えた。

「美の対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣寺という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった」と供述していたそうです。

彼の供述は、三島由紀夫の「金閣寺」の主題になっています。

〈主題 美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬〉と三島由紀夫のノートに記されていました。


人間最後のコンプレックスの解放が必ず犯罪に終わるという悲劇

の幕切れの一行は印象深い。


◎仏(みほとけ)の困難ではあるが悟りへの道はある。智慧を磨くすべもある。

その道にゆきくれ、その術に傷ついた。いずれの行も及び難き身に、一人だけ涙をたれてくださる「みおや」。金剛堅固の力である。(深川倫雄師)


人間に生まれたはずなのに、人間ではなく「畜生」が育っていないだろうか。

何のために生まれてきたのだろうか。他人を責める前に自分自身がみ仏に向かい合っているのか、それとも先祖代々受け継いできたはずの浄土真宗の門徒であるはずの信仰を蔑ろにして自分教を生きていたのではないだろうか。

自分が正しくて他人は間違い。実は自分も間違っていたと知らされずに生きていた。

それに気づくのは、凡夫の悲しさを真正面にしておられる阿弥陀さまの願いを我が身に聞いて、常に耳を傾けてほしいと願って止みません。


明日、この私がしでかすかも知れません。しないという保証などありません。

だって煩悩具足の凡夫なのですから。ウチに鬼が住んでいますから。

阿弥陀さまもご一緒しておられますが。

私のために心を砕いてくださる我が母はこの世にはもうおいでくださいません。

でも、南無阿弥陀仏のお喚び声となっていつもご一緒してくださいます。

それがわかる私に母が育ててくださいましたからね。

有難き幸せであります。


奥歯の詰め物が取れちゃいました。奥歯がないと不便ですね。

これも若い時分の不摂生がもたらした愚かなことであります。

お母さん、ごめんなさい。

埼玉に来て初めてです。どこで診てもらおうかな。どこかおススメがありましたら教えてください。できれば入間市から近い方がいいです。

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