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執筆者の写真超法寺の住職

お墓で眠っているの?

皆さま、おはようございます。

四日ぶりの入間市です。無事に帰ってまいりました。留守中皆さまにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。さすがにくたびれました。

開所以来久しぶりに長期間お寺を空けました。

北海道、新潟常例布教線以来でした。

またお寺から全行程、自動車移動はもちろん初めて。往復で約2.200キロ走りました。

時間は片道休憩込みで約12時間でした。

なかなかハードなスケジュールでありました。


一人では体力的にも厳しいと感じましたが、ウチの子たちが一緒でしたからありがたかったですね。今回痛感したのは一人はもう嫌だと言うことです。この約12年間、一人で頑張ってきましたがやはりパートナーが欲しいなぁって本気で思いました。

でも現実はなかなかそんなに甘くはありませんよね。ちゃんちゃんこにカウントダウンの私などのパートナーになっていただける殊勝な女性がいるとは到底思えないです。


それでもこの素晴らしい南無阿弥陀仏のおはたらきの中を生きる喜びを共に共有できるパートナーがいてくれたら、どれほど充実感や喜びに満ち溢れるかを考えたら心強いかなどと思うのです。


この度の父の追悼法要で感じた南無阿弥陀仏の頼もしさはお念仏をいただいた者にしか感じることができないものでありました。


また父の納骨(分骨)法要では、父は骨になってここで眠るんじゃない。ただ残された者が故人への想いをお骨に込めたと言う安堵感ではなかったでしょうか。

父が生まれ育った北広島町長笹、円正寺に帰ると言う意味合いでありました。

しかしその実は、南無阿弥陀仏という声のはたらきとして既に私に届いていてくださるのです。


ここに落ち着けたら、残された私がどれほど安らかな日暮しができるかを明らかにされるのです。


[問い]

故人はお墓の中にいらっしゃるのですか?


[答え]

お墓は私の命の源であるご先祖を追慕する空間です。何よりもご先祖のおかげによってこの私が、浄土真宗のみ教えを聞くこと、阿弥陀如来の願いを聞く人間に育てていただいたこと。

そのご先祖のお徳をしのび感謝申し上げる大切な場所なのです。

故人は、お墓の中の暗い場所に閉じ込められているのではなく、お念仏(南無阿弥陀仏)の教えに出会えたことや人間に生まれたことを喜ぶとき常にその思いを育んでくれた人として、いつでも会える場であります。


※だからといってお墓で眠っているのはありません。阿弥陀さまに救われた人はお浄土へ生まれて仏さま【南無阿弥陀仏】になり還相のはたらきにより声の仏さまとなり私たちにいつも寄り添っていてくださいます。

ですから、いつでもどこでも何時でも私のこの口に南無阿弥陀仏の声となってご一緒していてくださいます。

そのことを忘れてはなりませんよ。


そう思えないことでは、虚しい虚無感から私が解放されることはありません。

南無阿弥陀仏


私は改めて父が母が私に教えてくれた南無阿弥陀仏の喜びを一人でも多くの方々にお伝えするために精進して参ります。

皆さまもどうぞ南無阿弥陀仏を称えながら、強く明るく生き抜きましょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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