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愚痴の妙薬、南無阿弥陀仏

ぐちがきたら ねんぶつもをせ ぐちの明やく なむあみだぶつ

はらがたうたら ねんぶつもをせ ぶつはひのての みずとなる

なむあみだぶつ         浅原才市



腹立ちの火が燃えたら南無阿弥陀仏の水で消せなどということを、中くらいの寺参りや聞きかじりの老人が人に言うて聞かせるのを聞く。

言って聞かせる形で真宗を手の持って言うことが真宗だとしている。

才市さんの法悦は私などとは違いもっともっと深いのだろう。


才市さんは、愚痴の妙薬だから称えなさいというのではなく、称えると愚痴心がはれるとは、称名念仏とは素晴らしいと称えているのです。

怒りの火を消す水の役を果たす称名念仏をほめているのです。


生活態度の表面を正すのが浄土真宗ではない。

聞く一つであります。

生活態度の心の本が育てられる。それは、行いと言葉の背後に世間があるか、如来があるかであります。



心のいかりを絶ち おもてのいかりを捨て 人のたごうを怒らざれ

                        聖徳太子


宗教を持たずしてものを語っていく人があまりに多くなった気がする。

聖徳太子の憲法は心である。心に腹も立てず、顔にも、しかめ面をせず、人を責めないというのは態度であり聖徳太子の精神なのであります。

とにかくテレビ(ネット)をみていると皆、自分が正しくて相手を責め立てている。

そんな世界のどこに安穏があるというのであろうか。

社会的倫理観を無視しても、時間が経てば何事もなかったように復帰している。

不倫をしようが裏金をせしめていようが、自分ももらっているのに相手ばかり責めて首を取ったかのように立ち振る舞っているのが今の世相なのか。


それのどこに正義というものがあるのだろうか。

それはただの無責任な怒号であります。

最も大切で、それでいて難しいのが恕しであります。


恕(ゆるし)こそ救いであります。

南無阿弥陀仏

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