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冥福を祈らなくてもいい人生

青春時代にお茶の間で当たり前のように見ていた久米宏さんがお亡くなりなりました。ザ・ベストテンは毎週楽しみでした。大の広島ファンで優勝を逃して頭を坊主にする破天荒さ、番組最後には自身でビールを注いで一気飲み。

あっと驚く為五郎(昭和の人にしかわからないでしょうね)

そんな素晴らしい彼が人生を終える最後に大好きだったサイダーをグイッと

飲んでお亡くなりになられたと奥様が明かしておられました。

まさに石原裕次郎さんの我が人生に悔いはないのようです。


私も死ねるように死んでいきたいですね。まだ悔いはたくさんあるでしょう。

それでも、なるべく悔いを少しでも少なくするために今日も一日頑張りました。


恩師からいただいた年賀状の言葉をご紹介します。

一緒に味わってみましょう。

正信偈のお言葉です。

 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華

(いっさいぜんまくぼんぶにん もんしんにょらいぐぜいがん ぶつごんこうだい

しょうげっしゃ ぜにんみょうふんだりけ)


一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者(ひと)と

言(のたま)えり、この人を分陀利華と名づく


この世には、善人・悪人の区別も、賢・愚の区別もありますが、全て縁があれば何をしでかすかわからない、煩悩具足の凡夫です。

その凡夫(死ぬまで欲から離れられない地獄行きの身)、この私が、阿弥陀仏の本願の南無阿弥陀仏を、そのままにいただき念仏申す身になると、お釈迦さまをはじめ、諸(もろもろ)の仏さま方に褒め称え(たたえ)られるのです。


善人も悪人も平等に我が子と視ていく智惠と、どんな悪いことをした者でも救うという慈悲、この阿弥陀如来の広大なる智慧と慈悲の徳を、我が身にいただいた広大勝解の者、と。

分陀利華とは、白蓮華(びゃくれんげ)、純白の蓮の花、泥沼の中に咲き、その泥に染まらず汚されず、泥沼を美しき花園に変える。念仏の人は、煩悩に穢れた(けがれた)人の世に咲き出た白き蓮の花の如き尊き人、と。

念仏の人は、仏さま方から褒められ護られているのです。


今年一年も、この『正信偈』の四句を思い出し、忘れずに南無阿弥陀仏を称え、日毎に近づくお浄土への道を歩みましょう。


新年早々、お師匠(勝手にそう言ってる)のご紹介くださった言葉と、親鸞聖人のお言葉を唱和しながら歩んで参りたいものです。


久米宏さん、あなたにもきっとまたお会いすることでしょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


どうして浄土真宗では、冥福を祈らないのかお分かりいただけたでしょうか。

わかるまで何度も読んでいただきたいですね。

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