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世の中を正しく歩む者になろう

身を正すべきは私自身


この雪が降る情報の中、神社仏閣への祈願にノーマルタイヤで行くドライバーが後を断ちません。おかげでSNSではそれに伴う事故や渋滞に対する苦情ばかり目にしてうんざり。そもそも行かなきゃいいのにね。行くならそういう輩がたくさん来ていることを認識していただきたいものです。

毎年毎年毎年毎年、三が日にはこのような文句ばかりです。

これでいい年になるとは思わない。


私も愚痴になってくるのでこの辺で本題に。


『正像末和讃』

かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ

天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす


数多い親鸞聖人の和讃の中で「かなしきかなや」という深い悲嘆の情をそのまま言葉にされているのは二首しかありません。全体的に、親鸞聖人の和讃には激しい感情をそのまま言葉にした表現は少なく、身を震わすほどの喜びも耐え難い深い悲しみも、感情を露わにした表現は差し控えられているように思われます。

この和讃には仏教徒の仏教徒らしくない在り方、つまり日の良し悪し、吉凶を選び卜占や祭祀に心を奪われている生き方への鋭い反省を促しておられるのです。


お釈迦さまは、世の中を正しく歩む者は、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断を共に捨てた」者だと説かれて仏教徒としての生き方の基本を明らかにされています。


仏教徒としての生き方を自分の都合で判断して間違った生き方をして、どうやって幸せな人生を歩んでいこうとしているのでしょうか。

仏教は人生の正し生きる道を説いています。

それなのに常に自分の都合で判断して間違った生き方をしようとする姿がこの三が日の行動に表れているように私は思うのです。お寺に参る人の少なさにそれが露骨に表れている気がします。何かを願い、少しのお賽銭で聞いてもらおうって人間ってものは厚かましい生き物ですね。

ウチの子達はいつも変わらずにイキイキと生きているというのにね。


あ、知っていましたか?

正月飾りって魔除けだってこと。

だから浄土真宗ではやらない作法です。

魔除けなんかお念仏申す者には必要ありませんもの。

それが念仏者だよ。気にならなくなってこそホンマもんよ。

こういうと、「だってお正月だからやらないと」と言う。これこそが偽りの念仏者でありますね。

今年こそは真の念仏者になるように精進してお聴聞に励んでいただきたいです。

南無阿弥陀仏

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