めでたい言葉
- 超法寺の住職

- 4 時間前
- 読了時間: 2分
今年最初のお仕事は千葉市までいきました。途中、築地本願寺に初詣。
堂内は圧倒的に外国人でいっぱいで、日本人は「食」コーナーにお集まりのようでした。確かに堂島ロールは魅力的ですが阿弥陀さまへのご挨拶も忘れずに。
さて一休さんのお話です。
ご存知、一休さんは蓮如上人と親友と知られています。
ある時、一人の商人が初孫に恵まれたのでめでたい言葉を書いて欲しいと
一休さんを訪ねてきました。すると一休さんは「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」
と書いたのです。
あっけに取られた商人に一休さんは、このように死ぬことは当たり前ではない。
無常の世の中では親よりも先に子が死んだり、孫が死んだりすることもある。
それが順番通りに死んでいけることがどれほどめでたいことなのかを知りなさいと言われたそうです。
「死ぬ」と言う言葉は表面的には「おめでたい」ものとは言えません。
忌み嫌われる言葉でしょう。
しかしながら人間は必ず死ぬものです。
したがって「死ぬ」こと自体は自然的事実なのです。いつまで経っても「死ねない」ことの方が悲惨です。
一休さんが伝えたかったことは、「親・子・孫」という命の順番に死んでいくという自然の摂理に沿うことがめでたいという感覚です。
それを体感するために「親より子が先に死ぬ・子より孫が先に死ぬ」というおめでたくない状態をイメージする必要があるのでしょう。
一休さんの言葉は表面的には破天荒ですが、一歩踏み込んで読み解いていくと深い一休さん独特の知性とユーモアが溢れていることがわかるでしょう。
こういうものの見方を普段から聞きながら生きていくことが、いずれやってくる私自身の無情の厳しさに対処できることではないかと思うのです。
二度とない今日を粗末にしないように大切に過ごしましょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




コメント