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あれから10年

皆さま、こんにちは。

今日は風の心地よいお天気に恵まれました。

皆さまにはゴールデンウィークのお疲れが出ていませんか。お見舞い申し上げます。


早いもので実家寺を退職して10年が経ちました。しかしながらさまざまなことがありました。慣れない築地本願寺での一年間の研修。三か月五時に本堂清掃に始まり、週何度かのお晨朝出勤。人間関係の厳しさもかなりのストレスになり、逃げ出してしまいそうな毎日でした。

しかしながら同期の人の励ましもあり、何とか少しずつ馴染んでいきました。


土日の法務もなかなか無い中で、蓄えを切り崩しながら助成金もいただきながら拠点を探す日々でした。なかなか良い場所に巡り会えずに世の厳しさを痛感した日々でもありました。

その中でも千葉でお世話になってきたご寺院がお仕事をたくさんくださり助けてくださいました。開教の先輩は法務で支えてくださいました。感謝であります。


途中新型コロナが蔓延して仕事が全くなくなってしまった時は鬱になりかけました。ちょうど助成金支給が終わったタイミングでしたからね。蓄えも底をつき廃業するかどうかまで追い込まれました。

必死になって仕事を探した毎日。今となっては懐かしいですね。


何にもできない私がゼロからここまでよくやれたと思います。今年に入ってようやく法務も安定してきたように感じます。まだまだ不安定ではありますが、ようやく皆さまの信頼を得てきたようにもおもうのです。


亡き父は自身も広島県から出てきて千葉市で開教し大きな寺基を残した苦労人でした。

そんな父がお坊ちゃん育ちの我が子が退職してゼロから都市開教を志す姿をどのように見ていたのでしょうか。往生した今となっては確かめる術もありませんが。


涙ぐみ 帰りせがみし 在りし日の 病棟の父 思うたび悔ゆ

        [西日本新聞]


我が父、我が母のご苦労にて南無阿弥陀仏をいただくことを得た私でした。

父の跡を継ぎたかった。父と二人並んで七条袈裟を身に付けてみたかった•••叶わぬ夢でした。

愚かな私でごめんなさい。

でも10年経ちましたがまだ「いるま布教所超法寺」は入間市にございますよ。

いずれは非法人寺院となれるよう精進して参りますので。見守っていてくださいね。


「帰りたい帰れないさ どこに俺の帰る場所がある」『負けてたまるか』佐々木清次


両親が往生した今となっては私の帰れる場所はここいるま布教所超法寺しかありません。

辛いけど自分で選んだ道です。

でも阿弥陀如来がご一緒くださいます。

南無阿弥陀仏の声を灯火としてこれからも精進してまいります。


今の立ち位置は阿弥陀如来のおはたらきのまんまであります。これからも皆さまにはよろしくお願いいたします。南無阿弥陀仏

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