「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(『愚禿悲嘆述懐』)
第十八願の「三心」とは、『仏説無量寿経』の第十八願に誓われる「至心」「信楽」「欲生」のことです。
【至心】まことの心
どのようなことがあろうとも、どのような状況になろうとも絶対に変わることのない心をいう。必ず実を結ばせる心であります。
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親鸞聖人は、この「まことの心」は、私の心ではなく、阿弥陀如来の「まことの心」とあきらかにしてくださいました。
【信楽】「まことの心」が聞こえたこと
「変わることなく私の力になってくださる阿弥陀如来」遇ったこと。
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「私が」「俺が」と「我」を張っているわりには、自らの生き方に自信が持てずに、周りの人の顔色を見たり、少し冷静に考えたら、その間違いがすぐにわかるような迷信に惑わされて生きている私たちにとって、「どんなことがあってもあなたを捨てることがない」という阿弥陀如来の「まことの心」に遇わせていただくことは、何よりのよろこびです。
だからただ単に「信」と言わずに「信樂」といわれているのです。
【欲生】浄土に生まれさせてやりたいという阿弥陀如来のお心。
「我国」に生まれさせたいと阿弥陀如来はおっしゃっています。それはどこかというと、もちろん阿弥陀如来の浄土です。
自分さえ良ければいいという思いに生きている私たちは、互いに「いのち」を傷つけあって生きている穢土(えど)=この世です。
一人ひとりが「いのち」を輝かし、「いのち」を照らし合う浄土に生まれさせてやりたいというのが、「欲生」なのです。
⭕️第十八願の「三心」は、阿弥陀如来の「信心」をあきらかにしてくださったものです。
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