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妙好人の世界【七三郎】

【妙好人】の由来

仏教に救われて絶対の幸福になった人。


もともとの由来は、お釈迦さまの『仏説観無量寿経』の結論部分に絶対の幸福になった人のことをこう説かれている。


「人中の分陀利華なり」(ふんだりけ)


分陀利華とは、白蓮華のこと。

インドでは非常に珍しく、最高に素晴らしい花とされている。


仏教を聞いて、苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になった人を、白蓮華(びゃくれんげ)の花のような人だと褒めたたえられています。

たくさんの人がいる中で、聞き難い仏教を聞いて、絶対の幸福になった人をブッダは白蓮華にたとえられた。


その白蓮華のような人を、中国の善導大師は、さらにこのように解説されています。


【すなわちこれ人中の好人なり。人中の妙好人なり。人中の希有人なり。人中の最勝人なり。】 『仏説観無量寿経』


また宗祖親鸞聖人は、このように教えられています。


【この人を上上人(じょうじょうにん)とも、好人(こうにん)とも、最勝人とも希有(けう)人とも申すなり。この人は正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まれるなりと知るべし。】 『末灯鈔』(まっとうしょう)


正定聚とは、必ず浄土へ往って仏に生まれることが定まった人のことを言います。

これを現代の言葉で絶対の幸福と言うので、このような人を【妙好人】と言う。


では日本で伝えられている妙好人を紹介します。

【三河の七三郎】(1727→1807)

ある時、お念仏を称えながら黙々と畑を耕しています。そこへ有名な禅僧白隠が通りかかりました。

「これこれ、そこにいるのは七三郎さんじゃないか。ちょっと尋ねるが、お前さんの称えているその念仏は、一体なんのオマジナイじゃ」

白隠は、親鸞聖人がまじないを非常に嫌われたことを熟知しながら、イジワルな言葉をかけてきました。

すると七三郎は「よう尋ねてくだされた和尚さん。このお念仏は大マジナイでございます」


浄土真宗にはまじないなどの迷信は一切ござらぬ、と大上段に振りかざしてくるものと思いきや、七三郎さん、ニッコリ笑って、こう言い抜けました。

「大きなマジナイては、そりゃなんじゃ」

こやつ、言いよるな!!と白隠和尚は心密かに驚きましたが、少しもそんなにそぶりを見せずに突っ込みます。

七三郎はすかさず、

「鬼が転じて仏になる、大マジナイでござる

」と言い放ったといいます。


妙好人など無学なものだろうと侮って、見事に切り返された白隠和尚は、そのまま立ち去れるほど無我では有り得ませんでした。

そこで話題一転、こう問いかけます。

「それじゃ七三郎さん、あんたの信ずる阿弥陀さんはとこにいなさる」


己心の弥陀(心の阿弥陀如来)しか知りえない白隠和尚は、七三郎の指方立相の十万億土の阿弥陀如来をあざわらおうとされたのでしょう。


「ここを去ること十万億の極楽浄土におられます」


「ほほう、それはまた、えろう遠い処になぁ。いざという時、間に合わんのじゃないか」


七三郎が白隠和尚のツボにハマってきます。

しめた、と切り込む白隠和尚に、軽く七三郎、こう言います。


「でもね今は、お留守でございますよ。」

「どこへお出かけじゃな。」

「十方の仏国土を御巡教でございます」

「それで今は、どこにおいでじゃ」


おやおやと思いながら、なおも追及しようとする白隠和尚に七三郎は平然と答えます。


「この三河の国に来ておられます」

「それは初耳。して三河のどこへじゃ」

その時、七三郎は、拳で己の胸を大きく叩いて


「分からぬか。ここじゃ」

と言ったと言われます。


※この受け答え、味わいこそが妙好人たる姿なのです。皆さん、ご一緒に味わわせていただきましょう。南無阿弥陀仏

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