皆さま、おはようございます。
昨夜はサッカー日本代表がんばりましたね。
基本サッカーには興味がないですが代表戦だけはチェックしております。まだまだ不安要素はありますが選手起用は監督の采配です。
次も頑張って欲しいですね。
さて今朝は寒いからでしょうか、首が痛くてコルセットを装着しました。安定して楽になりますね。頑丈で丈夫な身体に育てていただきましたが、痛むときは痛みますね。
会社員なら仕事も休みたい気分ですが、住職として超法寺を切り盛りする以上、そうそう休むわけにはいかないんですよね。
今日もご指名をいただいていますのでコルセット装着してお参りへ行って参ります。
もちろん安全運転します。
私たちはその際の立ち振る舞いで生き方が変わります。相手を責めて生きるか、したくてしたんじゃないから仕方ないよね。これくらいで済んだと喜ぶかどうかでも変わると思います。
だってこの世は因果応報だもの。
さるべき業縁のもよほさば、いかなる
振る舞いもすべし 『歎異抄』
「良い心が起こるのも、悪いことをしようと思うのも、宿業が催すからです。たとえばウサギや羊の毛の先にほんのちょっとついたほどの小さなことでも、造る罪は宿業です。私たちのすることはすべて宿業でないものはありません」
と、親鸞聖人はおっしゃっておられます。
知らない人が笑顔で近づいてきたら「怪しい」と思いなさいと言われますが、笑顔に騙されることはあります。詐欺事件では大概、優しい言葉と優しい笑顔でコロッと騙される方があると言います。
もちろんすべてとは言いませんが、南無阿弥陀仏のない人間の言動は不安があります。
「人の為と横に書いたら、偽りという字になってしまった」
これは中国浄土教の祖、善導大師のお言葉です。
偽りとは、煩悩の炎を燃やす事です。
そういわれてみれば私自身がそうです。
お恥ずかしい、耳が痛いですよ。
お坊さんらしい格好はしていますが、事故に遭ったら途端に相手を責めるんですから。
でも今回はそうはならなかったな。
先に南無阿弥陀仏が出てくださったからでしょうかね。腹が立たなかったのです。
しかし私の腹の底はわかりません。
阿弥陀さまが堪えてくださったのでしょうか。
だって私は煩悩具足の凡夫ですもの。
表向きはどうあれ腹の底は煩悩の炎が燃え盛っているのだから。
心を良くしてから救われるのではありません。
もしそうなら私はやはり地獄行きです。
阿弥陀さまのお救いは立派ではないものを救わずにはおれないという【ご本願】であります。
本願力は、どんな悪人も救わずにはおかぬというお心ですから、私のようなものがようこそ救われるものだと【不可思議なおはたらき】、大慈悲を南無阿弥陀仏を称えさせていただきながら、仰いでいく他にはありません。
今日も煩悩具足の凡夫の炎が沸き立つ私は南無阿弥陀仏を灯にして少しでも他を思いやりながら過ごしていきたいですね。
コメント