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なぜお経を読むのか

皆さま、こんばんは。

久しぶりにがっつり雪が降っています。

東京には大雪警報が出ているそうです。

もちろん入間市も何年かぶりの大雪になりました。早めに用事を済ませて良かったです。

灯油だけ買い忘れました。


さて、「お経のいわれ、心、あらまし」についてご紹介します。

[なぜお経をあげる]

ご先祖が迷うから•••などという方を見かけます。ご先祖が、ご先祖が•••きちんと供養しなければ良くないことが起こるかも知れないと考えている方は意外と多いのではないでしょうか。

それだからでしょうか、自分や家族に良くないことが起こると、ご先祖が迷っていると考える方はいます。

また、占い師も「あなたのご先祖が迷っている」とか、「あなたのご先祖があなたを恨んでいるから供養しなさい」などと真顔で言うから恐ろしいですよね。それを言われて笑い飛ばせるのは、もちろん南無阿弥陀仏を我が身にいただいて仏法聴聞を重ねているような方だけでしょう。

また、皆さまが言う【供養】とは、自分たちの身にふりかかる災いを避けようというのが「先祖供養」という考え方なのです。


しかし本来、仏教でいう【供養】は、相手を尊び敬うことが基本であります。


ご先祖を何かあると子孫に災いをもたらすものだという理解は、先祖を魔物扱いしているようなもので悲しむべきことではないでしょうか。

皆さまを誰よりも大切にしていたご先祖がどうして皆さまに災いを与えるのでしょうか。


法事は、先祖を卑しめる「先祖供養」ではありませんよ。

本来の意味は、ご先祖を尊び敬う(供養)仏事であり、【法を弘める事業】→法事

というのです。

よくお聞かせいただきましょう。

ご先祖は私たちに何を願い、何をどう一番期待しているのでしょうか。

間違っても「私の霊を慰め鎮めておくれ」ではありません。


ご先祖は私たち子孫の幸せを願い、自らが聞いた真実の教えを聞いて生きていくあなたになってほしい。そして心安らいだ人生を歩んでほしいとの期待をお持ちくださっているのではないでしょうか。南無阿弥陀仏を仰いで生きることにこそ本当の幸せがあるからです。


 親鸞聖人は、『教行信証』の最後に中国の道綽禅師さまの、【前(さき)に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ(とぶらへ)、連続無ぐうにして、願はくば休止(くし)せざらしめんと欲す(ほっす)。無辺の生死(しょうじ)海(かい)を尽さんがためのゆえなり】『安楽集』


のお言葉を引いて、私たちに何が大切で、どこに本当の幸せがあるかを教えてくださいました。

先人は自らが生きた後ろ姿で私たち子孫を導いてくださっているのです。だからこそ私たち子孫は、先人のありし日の姿を偲び先人の足跡を訪ねることが大切なのです。それは外見だけではなく、常に阿弥陀さまを仰ぎ、南無阿弥陀仏を称えながら、お寺参りも欠かさない生き方も大切にされていたのではないでしょうか。

だからご法事や、お盆参りやお彼岸参りも大切にしてお寺へ参ったり、お寺さんに来ていただいたりされていたのではないでしょうか。


お経は、「いのち」のあり方や、私の人生を歩む方向を知らせていただくのです。

ですから呪文ではありません。

【今現在説法】(こんげんざいせっぽう)と言い、お釈迦さまの法話を聞かせていただくのです。お釈迦さまの説法は、【すべて生きている人間になされたもの】であります。

ですから死者に聞かせるものではなく、今生きている私たちが先人(故人)を縁として仏法聴聞をさせていただくのです。


【経は教であり、鏡である】


私たちはご先祖のおかげで、お経にあい、教えにあい、迷いの人生をこの度で終え、さとりの浄土へ生まれ往くことができるのです。

聞かないで、あわないでどうやって往生するのですか。

浄土真宗のお経は、【浄土三部経】といい、『仏説無量寿経』(大経)、『仏説観無量寿経』(観経)、『仏説阿弥陀経』(小経)です。この他にも【浄土三部経】を喜ばれた讃歌(偈文)も拝読します。

「正信偈」が有名ですが、親鸞聖人が「大経」のお心と、七高僧の喜びを讃えた讃歌です。


「大経」は、私たちが迷いから、さとりに向かう道は阿弥陀仏の本願の名号によるしかないことを説きあかしてくださった経典です。


「観経」は、私たち人間のありのままの姿を明らかにしてくださった経典です。


「小経」は、阿弥陀仏の救いのめあては、「観経」で明かされるようか私たちであり、私たちの救いは「大経」の教えによるしかないことを多くの諸仏が証明してくださる経典です。


お経を読誦(どくじゅ)し、み教えに遇って、ご先祖を本当に尊び敬う(供養)、法を弘める大事業、それこそが法事なのです。

つまりお経は、「あげる」ものではなく、「いただく」ものと言えるでしょう。


なかなか遇えるものではありません。

それなのに故人(先祖)が身をもって遇わたせてくださったのですから、嫌がらずに大切にしたいものですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、な南無阿弥陀仏

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