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JR八高線金子駅から歩いて
約3分です。
毎時上下2本以上あります。
お時間を合わせてお越しください。

お知らせ
門徒推進員養成連続研修会
コロナ禍で久しく休開催していた埼玉組(そ)の門徒推進員養成連続研修会(連研)を開催するための研修会が春日部市の福浄寺で開催されました。 埼玉県内寺院より門徒推進員をはじめ、連研受講希望者が約10名参加されました。超法寺からも1名参加してくださり「コロナ禍によって宗教の考え方が変わってきましたがどう思われますか?」というテーマのもと、「親族が直葬をしたいと言ったら?」、「墓じまいについてどう思うか?」についてグループに分かれて話し合いました。この度は僧侶(住職)も多くいたため僧侶もグループ分けして話し合いました。約1時間の間、それぞれの考えを語り合いながら門徒推進員が音頭を取りながら和気あいあい楽しくコミュニケーションを取っていたようです。 私たち僧侶も現場に立ちながらこの問題に対してどう感じているのか、直葬では短いお勤め時間の中でいかにして浄土真宗のご法義をお伝えしているのかしないでいるのか?それぞれの意見を伺ったり自身の意見を話したりであっという間に時間は過ぎていきました。何せ私はおしゃべりなもので先輩ご住職が(司会役)うまく意見を回してくださ
仏教テレフォン相談[お悩み相談]
今年初めてのテレフォン相談が昨日ありました。 超法寺でも月に一回、[寺カフェ]という形で開催していますが、最近ではなかなか希望者がいないのが残念です。テレフォン相談というのがいいのでしょうか。 今年はその辺りも含めて再考しようかと思っています。 今回は午前中3名の相談員が担当、私は5名の方の相談を受けました。 1人は「おはよう、仏教テレフォン相談です。」と言ったら切られてしまったのですが、これはよくあることなので気にしません。 午後は1人仕事があると言って帰られたので2人で受けました。 私は3名の相談を受けました。内容的におかげさまにて私の専門分野でしたので精一杯寄り添えたかと思いました。 初めて電話で応対する人にはある程度時間をかけて、何を聞こうとされているのかを見極める必要があります。もちろん相談したい人がたくさんいれば、時間の制約もあるので1人に費やせる時間も短くしたいところですが、真剣に悩んでいる人に時間を短くというのは不親切ではないかと思うのです。 そのジレンマの中、許される中少しでも安心していただけるような言葉選びに費やせたらと思いな
人間の志願を満たす
『高僧和讃』 無碍光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜(じょうや)の闇(あん)を破し 衆生の志願をみてたまふ いよいよ年末のイベント、クリスマスを迎えます。 我が家は愛犬アマネ(彌)が八歳になりました。 早いですね、超法寺とともに歩んできたのです。 様々なことがありました。苦難を側で支えていてくれる貴重な存在です。 また先日はM1グランプリがありましたが我が家にはテレビというものがありませんので結果しか分かりませんでしたが、今までとは違って私のツボにはハマらなかったです。皆さんはめちゃくちゃ笑ったという投稿でしたがM1グランプリ歴代でこれほどしっくりこなかったのは私が老いたからでしょうか。 でも老いたものが見ても笑えてこそM 1じゃないのかと思うのですが。 このように笑いって大切なものだと思う。 笑顔と腹がよじれる笑いは健康の源です。 皆さまは一日一回は大笑いしているでしょうか? 仕事柄、怒ったりストレスを溜めているのなら余計に笑ってほしいものです。 私は笑顔と笑いを大切にしています。 初詣は「ご縁があるように」と五円を重ねていれるそ
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住職のブログ


法喜
慈光はるかにかぶらしめ ひかりのいたるところには 法喜をうとぞのべたまふ 大安慰を帰命せよ 「浄土和讃」 『長老偈』に「すみやかに妙好の声をあげたまえ。白馬がその首をもたげて、おもむろにうたうように 余念なく聞くであろう」との文がある。 生涯に七千もの詩をもって阿弥陀如来の大慈悲を歌いあげた 浅原才市 さんには、さながら桃源郷の美妙な歌を聞く思いがする。 なむあみだぶは、わしの心に花さく領解。 花をもろうて花見する。 よろこびは絶えもせず、ざんぎも絶えもせず。 よろこび・ざんぎは胸の花。 才市さんは、現在の島根県大田市温泉津町に生まれた。 若い時に仲間に誘われて博打を打ち、警察に捕まって世の中が怖くなり仏法を聞き始めた。その後、四十五歳の時に父が亡くなり、父の遺言は「 南無阿弥陀仏 」であったそうです。才市さんの信心の花は五十歳過ぎであった。 わたしゃ久遠のまよいでも、わしのおやさま、久遠のおやで、 ご恩うれしや、なむあみだぶつ 長い間に真剣な聞法を経たからでしょうか、見事に如来の本願のせかいをとらえ、 信心 と 名号、慚愧 と 歓喜(ざんぎと


雪にも負けず
日曜日は久しぶりの大雪になりました。入間は昼には止みましたが先行きがわからなかったので朝のうちに投票へ行きました。私の衆院選の楽しみは【 国民審査】 です。 最高裁判所裁判官国民審査は、 最高裁判所の裁判官が役割にふさわしい人かを国民が考え、辞めさせるべきかどうかを投票で決めるとても大切な制度です。 どうして楽しみかと言うとあくまで個人的な意見ですが、近年の日本の司法は加害者の更生にばかり気持ちが優先されて凶悪事故や事件に対して温情な判決、短い懲役刑を目にすることが実に多い気がするからです。 皆さんはどうですか?凶悪事故でも危険運転致死罪が適用されることがなさ過ぎると思いませんか? 国民審査は、辞めさせたい意思があれば裁判官ごとの名前に✖️をつけ、なければ何も書かずに投票して、×の票が有効投票の過半数になれば、その裁判官は憲法に基づき辞めさせられます。 最高裁判所の裁判官は、任命後初めての衆議院選挙の投票日に国民審査を受け、審査から10年を過ぎるたびに対象となります。 もちろんこの事故を裁いた裁判官ではないのでしょうが、最高の裁判官である裁判官は


読経は亡き人のため?
読経は亡者生者を問わず、すべてのものの功徳となります。 【世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟(ぶもきょうだい)】 親鸞聖人は「父母の孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺん)にても 念仏まふしたることいまださふらはず」と言われました。 だからと言って、亡き人や先祖のために読経することをやめてしまえと言ってはいません。私たち人間は自分の親や子供、親類や先祖に対して、親しい心や愛情があります。このような愛情は、仏教の立場から言えば限りられたものに対しての執着(しゅうじゃく)であり、それは菩提(さとり)への道とは相反する心であると言われます。 親鸞聖人は、一切の命あるものは皆これ世々生々の父母兄弟であると言われたのです。それは私たちは無始以来、今に至るまで五道を迷い( 地獄・餓鬼・畜生・人・天)、憂畏勤苦(ういごんく)の旅を続けてきた のだと、一切智者である仏陀(覚者)は、教えてくださいました。 生死絶えずの旅 すべての命は関わりあっていると知らせてくださるのです。 ほろほろと鳴く山鳥の声きけば、父かとぞおもう母かとぞおもう...


死ぬのではなく往くのです
長文のため途中で記入できずに続投稿します。 正信偈に 五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ) と、どうやって漏らさず救っていこうかと考え、考え、気が遠くなるほどの行を重ねていかれました。 南無阿弥陀仏を称えさせて救う道を完成されました。 浄土真宗の信心は「はい、仰せのままにおまかせします」と仰せを聞くようにはたらくのです。 でも、現代人はなかなか浄土往生を信じません。 昨今は葬儀もしない、法事もしなくなってきました。その上、お寺に参る機会も無いのですから 南無阿弥陀仏の声に出遇う機会も無いときているので阿弥陀さまのご苦労は甚大でしょう。 その上、それを伝えるべき僧侶の側も、「浄土真宗の方だけでは無いので浄土真宗の話をするのは控えよう」などと勝手な解釈をして法を遠ざけているなんて話を聞くから寒気がします。 この目に見えるものしか信じない。 明治からの教育は実証主義、経験主義の教育に変わり、見えるもの、触れるもの、自分で確認したもの以外は信じません。 ですからUFOのような存在なのかもしれませんね。 でもどうでしょうか。テレビは見えますか?でも電
