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人間はなぜ不幸なのか

皆さま、夜分遅くに失礼します。

最近寝落ちする日々が続きます。

おかげさまで毎日のようにお仕事をいただき

目一杯奮闘させていただいています。

昨日は、さいたま市へお参りしてその後、秩父市まで行きました。

もちろん下道ですよ。

最近では極力、高速を使わないようにしています。


土曜日は国道299は大渋滞していました。

登りに大型トラックがいると仕方ないのでしょうがどうしても混みます。

なかなかハードな移動になりましたが安全運転ですよ。BGMは【ゆず】で幸せ気分。


幸せ気分で思い出すのは、皆さまは幸せですか?

「しあわせ」を感じで書くように言われたら99%の人が【幸せ】と書くのでしょうね。


しかしながら、『広辞苑』で「しあわせ」を調べてみると意外や意外、始めに出てくるのは【幸せ】ではなく【仕合わせ】と出てきます。

①めぐり合わせ。機会。天運。②なりゆき。始末。③(幸とも書く)幸福。幸運。さいわい••••と意味、説明が出てきます。



オマケのように出てくるのが、多分、皆さまが「しあわせ」を「幸せ」と普通に書くあの【幸せ】なのです。

ではなぜ【幸せ】はオマケのような扱いなのでしょうか。


ヒントになるかわかりませんが、星野富弘さんの言葉に、

[幸せ]という花がなるとすれば

その花の蕾(つぼみ)のようなものだろうか[辛い]という字がある

もう少しで[幸せ]になれそうな字である

皆さまはどう感じましたか?

「今」は[幸せ]でも、いつそれが[辛い]に変わってしまうかも知れない危うさと不安がいつも付きまとうものです。

私たちが生きる「今」は、私たちの思い通りには決してなりません。

しかし、世の中の人たちの多くは何とかして少しでも自分の思い通りにしようとしてはいないでしょうか。

今、毎日報道されているウクライナへのロシアの侵攻にしてもまさにそのある人が自分の思い通りにしたいという欲求によって引き起こされている悲劇です。


わざわざ人々を悲しませ、苦しませて、かけがえのない尊い命を奪い、怒り、憎しみを人々の心に植え付けています。自身も【老病死】の現実からは逃れられないというのにも関わらず。


仏教では「なんでも思い通りになると考える心を【驕慢心】(きょうまんしん)として厳しく戒めています。

「おごり」「たかぶり」の心が人生を狂わせます。

上手くいっている間はいいのだが、つまづいたり、壁にぶつかってしまうと「こんなはずじゃなかった」「あいつのせいだ」「こいつのせいだ」と他人への責任転嫁を繰り返すのが人間の悲しさではないだろうか。


人間はそんなに強く無い。

心なんて簡単に折れてしまうもの。


そんな愚かな生き方より、【仕合わせ】の世界。これはしあわせは一人ではそうならないというものの見方です。自分だけでは決してならないものが、他の力、他の協力、他へのよりそうこてにより共に分かち合うしあわせな世界が開ていくのではないだろうか。そんな世界こそが本当の【しあわせ】の世界であり、それを、思い通りにはならないんだという認識を普段から持って生きていく人は、それがたまたま思い通りになった時には、《おかげさま》という感謝の気持ちがおこるのではないでしょうか。


よく、言葉として《おかげさま》を使う方はたくさんおられるのですが、言動が伴わない方が実に多い気がします。自分だけの思いで、私が頑張っているから、だから•••などと考え、自分の幸せがおかげさまだと間違った認識をしてしまう。これが一番ひっくり返るものではないでしょうか。


行動が伴うためには、いつも自分は一人じゃない、二人三脚で生きているんだ、と思いながら生きていくことが大切ではないかと思うのです。

もちろん、もう一人は阿弥陀如来さまであります。私の身には南無阿弥陀仏という姿となり、私の愚痴のこの口にいつもあらわれてくださいますよね。

このままが【仏】であります。


放っておくと実に危なっかしいこの私を阿弥陀如来さまは心配されいつも私とご一緒してくださいます。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


心配ないよ、大丈夫だよ。

思い通りにならなくったって。

なったまんまをあなたらしく生きてください。

阿弥陀はいつもあなたと共にありますから。

どうか、ひっくり返らない私の建立した浄土に生まれてください。

そして二度と輪廻転生しない仏になってください。

それこそが本当の【しあわせ】だから。

これが答えではないでしょうか。

ロシアの大統領にも阿弥陀如来さまのはたらきは届けられてあります。

ただ受け入れずはねつけているのならばまだまだ時間はかかります。

それをあ〜だ、こ〜だ、言う前に先ずは私が阿弥陀如来さまのご本願を聞かせていただいて、受け入れていく方が大事ではないだろうか。

名ばかりの浄土真宗門徒ではなく、名ばかりの念仏者にならずに、阿弥陀如来さまと二人連れの《おかげさま》の感謝のひぐらしを過ごしたいものです。


【小欲知足】

足るを知りなさい。


お釈迦さまのお言葉です。


足るを知らないから不足が出るのだから。

耳が痛い言葉ですね。


おやすみなさい。

南無阿弥陀仏。

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