自分をありのままに見ること

皆さま、こんばんは。

週末は雨模様ですね。

この際、不急不要の外出は控えませんか?

皆さまはオミクロン株は重症化しないというマスメディアのデマが刷り込まれた挙句にこの有様です。よ〜く聞いてみると、デルタ株より感染力が強い反面、肺炎にはなりにくいというだけで、陽性反応が出てすぐに重症化した挙句にひどい場合は急死する高齢者が多いそうです。

ましてや持病を持っている場合は重症化しやすいし、若い人は後遺症の恐ろしさを知らずに感染してしまうようです。


一度感染すると、味覚障害が長く続いたり、呼吸器系の後遺症に長く患いやすいということが言われています。

タバコ喫煙者が老後に肺気腫でガラガラと酸素吸入器を持ち歩かねばならないようなことが起こりやすいと言われていますよ。

それでもいいのですか?

今更ですけど喫煙なんか、とっとと辞めた方が身のためです。余計なお世話かも知れませんが。


このように、私たちは自分自身のことすら、ありのままに見ることが難しいのですよ。

医療でも、医師なら誰でも良いのではなく、私の症状を正しく診断し、どのような最適な治療法があるのか、どのような薬を処方すれば良いかを判断しなくては治るものも治らず余計に悪化させてしまうことにもなってしまいます。


これは私たちの日々の生活の中でも同じことで、日々の悩みやストレスも同じことです。

【自分の心の状態を正しく知り、整理すること、何に対して悩んでいるのか、何にストレスを感じているのかを知ることが大切です。


悩みの正体、ストレスの正体がわかれば、それにあった解決法も、おのずと見つかります。


仏教でお釈迦さまは、【先ず、物事を正しく見ていきなさい】と教えています。

【正見】(しょうけん)といいます。

正しい診断なしに良い治療はあり得ないように、しあわせになりたいと思っても、先ず自分を正しく見ることが先決だと説かれました。


それでは正しく見るにはどうすればいいのか。

このような話があります。

室町時代に生きた蓮如上人か街を歩いていると、大きな松の木の下に何やら人がたくさん集まっていました。良く見てみると松の木の前に立て札があり、「この松を真っ直ぐに見た者には金一貫文を与える。大徳寺•一休」と書いてありました。

これは、かの有名なとんち問答でした。


人々は何とかしてこの曲がりに曲がっている松をまっすぐに見てやろうとしていました。

その様を見られた蓮如上人は、「簡単なことだ、わしは真っ直ぐに見たよ」と言われました。

その答えを蓮如上人から聞いた人々は喜びいさんで一休さんのもとへ向かい答えを言った。

すると、一休さんは「はは〜ん、お前たち、蓮如に聞いてきたな。」と笑い、その上で、「お前たち、立て札に書いたことをきちんと最後まで読んだのか?わしは小さな字で、しかしながらこれは蓮如に聞いてはならぬ、と書いたぞ。」と言ったという話です。

実は一休さんと蓮如上人は大親友だったそうです。史実には一休さんは親鸞聖人200回大遠忌法要へ参り焼香をされたと残されています。


では、この話の答えは何かお分かりでしょうか。

【曲がった松を、『曲がった松でな!』と、ありのままに見るのが、真っ直ぐに見るということなのだ。

白いものを白、黒いものを黒と、ありのままにみていくことを【正見】というのです。

しかしながら私たちは、それを自分という当てにならない色眼鏡で見て、自分なりの見方で見てしまうのです。

自分なりの見方で見ていくことを仏教では【邪見】(じゃけん)といいます。

《曲がった松を曲がったままに、まっすぐに見る》これが答えだ‼️


私たちの人生においても同じです。

苦しいから苦しくないように生きるのではなく、苦しいまんま生きていくのです。

災害を避けていくのではなく、災害に遭うときはそのまま素直を受け入れていくことができれば、それが一番の妙法であると、かの良寛さんもおっしゃっていますよ。


そこが素直を受け止めていくことで第一歩を踏み出していくことができると、お釈迦さまはお説きくださいます。


素直が一番。

素直になれないとダメですよ。

仏教なんか聞いても意味ない、って言うあなたは是非、仏教の教えにあってください。

素直に、素直にですよ。

そして自分自身の感情とか常識を捨ててありのままに聞いていくのです。

それができなければ、お念仏なんか出てきやしませんよ。笑い


私のようなへそ曲がりのために阿弥陀さまは仏になってくださいましたから安心ですから。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


※一貫文の価値

国により若干の違いはありますが、平均しますと現在ね10〜15万円に相当するようです。


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