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安心していいの

皆さま、夢心地ですか。私は寝落ちから起きてしまいました。これは「老い」ですね。

ふと、思ったことがありブログを書いています。よく皆さまが言われる「南無阿弥陀仏って何?」ですが、これは私たち人間[凡夫]には超越したものだから理解しにくいものだと思います。だから阿弥陀さまは信じなさいとはおっしゃらない。親鸞聖人は、阿弥陀は信じさせて救うとおっしゃっています。

これはすべて【他力】なのです。

他力とは阿弥陀さまのおはたらきであります。

いくら真実なる阿弥陀さまであっても、こちらにもってきてしまうとわからなくなります。

それは私の信心ではないからです。


他力本願の世界はすべて阿弥陀さまの阿弥陀さまによる[行]であります。真実なる仏さまの阿弥陀さまが死ぬまで煩悩から離れられない私たち人間[凡夫]、つまり地獄しか行き場所のないものを救ってやりたいという願いの元に仕上げられてあるのです。つまり阿弥陀さまが選び取ってくださった[行]それが【南無阿弥陀仏】であります。

南無阿弥陀仏の声が私のこの身に届いてはたらいていてくださるのです。何もわからず、煩悩の中に埋没して生きているこの私を責めもせず、裁きもせず、ただ南無阿弥陀仏の法のはたらきによって救おうとされているのです。

背を向けて生き続ける凡夫たる私を「気づいてくれ」と願い、「心配ないから、まかせてくれ」とのはたらきをもって南無阿弥陀仏の声となり喚び続けていてくださるのです。


弥陀成仏のこのかたは 今に十劫へたまへり


親鸞聖人はご和讃にそう言われています。

もう十劫ものはるか昔から私を救うためにはたらいていてくださるのです。頼みもしないのに。阿弥陀という仏さまは[救いたい]という願いによって仕上がっている仏さまであります。聞いても聞いてもわからない、忘れてしまうばかりで、すぐ不安や苦悩に落ち込んでしまう私をいつも[まかせよ、救う]と呼んでいてくださるのです。


そのような素晴らしい仏さまに遇わせていただいたのに、不安から苦悩から逃れられないのは、わたしが悪いのではない。凡夫とはそういうものであるということなのです。

一般的には修行して煩悩を捨てて悟りを開くと言うけど残念ながら至難の業であります。

仮に修行しても煩悩から離れていくことは難中の難です。これは私たちお坊さんを見てくださいましたらわかるでしょ。そう思いたくないでしょうが、私たちお坊さんだって阿弥陀さまの他力のおはたらきにおまかせしなければ往生の道はほど遠くなります。


遇おうと思ってもなかなか遇うことのできない阿弥陀さまの法です。その類を見ない素晴らしい法に私を遇わせてくださった方は、ご先祖であり、おじいちゃん、おばあちゃんであり、お父さん、お母さんでありました。まさに諸仏のはたらきであります。

私のために身をかけてくださいました方々への感謝が私の口に耳に南無阿弥陀仏がはたらいていてくださるのですね。

勿体無いことだと私は思っています。


南無阿弥陀仏に出遇えて良かったです。

おやすみなさい。ナンマンダブツ

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