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[祝]築地本願寺布教デビュー

皆さま、こんにちは。

いやぁ、暑いですね〜、激アツ。

クラクラしますよ。

今日はおかげさまで飯能市と川越市で仏縁をいただきます。今年は〈冷やしおしぼり〉を装備してこの激アツを乗り越えたいと思います。


先程、築地本願寺の常例布教に専従員候補者時分、同期で研修をした大江和正布教使が見事なお取次をされていました。

超法寺にもご出向いただいたことがあります。

是非、皆さまもYouTubeでご視聴なさってください。優しい柔らかい笑顔の大江さんのお姿を見たら少しは暑さから解放されますよ、きっと。


苦楽を共にした仲間が頑張っている姿はとても良いものですね。私は研修中、毎週毎週、へこたれて「もう辞める」って逃げ帰ろうとしていました。それを大江さんは私の車の前に出て一生懸命に引き留めてくださいました。

彼がいなかったら今の私はいなかったはず。

たった一人、彼が私を守ってくださいました。

「末田さん、辞めるなんて言わずに一緒に頑張ろうよ。」と言ってくれました。

私は築地本願寺という組織を知らないお寺のボンボン。彼は長く築地本願寺で職員をされていましたからその辺りの事情をよく知っていたのでしょうかね。


専従員候補者を終え、総長から専従員任用をいただいた時に、大江さんに尋ねたのです。

「どうしてあの時に一生懸命引き留めてくれたんだ?」て。

すると彼は「末田さんは私の兄と年齢的に近いので自分の兄のように思っていました。」と。

大江さんのお兄さんには二度お会いしましたが、いやはや私などお子ちゃまに見えるくらい大人でしたよ。


その大江さんがこの度、築地本願寺の常例布教デビューを飾って私は自分ごとのように嬉しく感じました。

大江節が見事に花開いていました。


それはさておき、私たちついつい人間は、自分は正しい生き方をしていると勘違いしてしまいます。大丈夫ですか?

仏教ではそれを「邪見」といいます。

『正信偈』には、「邪見驕慢悪衆生」とありますが、【おごり、たかぶり、よこしまの】と言います。

【驕り】とは、慢心ともいい、すぐいい気になることです。思い上がった気になる。


【昂り】とは、怒りが抑えられない、興奮する、傲慢な態度を取るという感情的な意味です。


【よこしま(邪)】とは、心が捻じ曲がって正しくないこと、道から外れている、人に害を及ぼすという意味です。


このような物の見方や言動ができない私たちは、残念ながら正しい生き方ではないということを言われているのです。

それに気づかされるためには、私たちは阿弥陀さまがお誓いくだされた【ご本願】南無阿弥陀仏を聞いていくしかないのです。

他人が悪いと、他人ばかり批判したり、責めたり、脅したり、厳しい言葉を浴びせたりする行為は正しいとは言えないのです。


もちろん、私もこのような生き方しかできません。お恥ずかしいです。

しかしながら、このような生き方しかできない私たちのために阿弥陀さまは、どんなものでも間違いなく救われていく道を完成(成就)されました。それを南無阿弥陀仏という六字に込められて私たちに届けてくださいます。


私たちが布教させていただくのはそのありのままの姿をお伝えしていくのです。

だから布教師ではなくて布教【使】なのです。

阿弥陀さまのお使いをさせていただく役目が布教使の役割なのですよ。

私が皆さまを救うのではなくて、私も皆さまも阿弥陀さまのひとりばたらき【南無阿弥陀仏】で分け隔てなく救われていくのです。

ですから、私が間違った生き方をしていることに気づかない限り阿弥陀さまを受け入れることは難しいのですよ。


盂蘭盆(お盆)ですから、鬼の話をします。

とんちで有名な一休さんは、

【鬼という おそろしきものは どこにある 邪見の人の胸にすむなり】と、おっしゃっておられます。


つまり、鬼とは誰でもない真実に背を向けて自分だけは間違いないと思い上がって生きている人の姿であるというのですね。

皆さまは、自分の姿を鏡で見て頭に角が見えますか?見えたら凄いよ。なかなか見えるものではないから。


正を知るから邪を知れる


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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