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伝わる法をお届けします

更新日:5月1日

皆さま、こんばんは。

今日は一日走り回りましたよ。

午前中は千葉県市川市、午後は埼玉県川越市までお参りしましたよ。もちろん往復下道で約120キロ走りました。行きはまあまあ空いていたので助かりましたが、帰りはそれなりに混んでいましたが下道で正解でした。

まだまだ紹介の仕事のため、手数料が高いので呑気に高速わ道路を走る余裕はありません。

経費節減のためにも早起きしてお寺を出るのは法人を持たないお寺の原則であります。


さて今日は注目の補選で自民党が全敗したニュースで賑やかでありましたが、驚いたのは選挙結果を踏まえて自民党幹部や関係者の甘い判断ではないでしょうか。

「有権者のほとぼりが冷めるのを待って」とか、どうして今まで自民党に票を投じていた有権者があのいわくつきの政党に投票したのかが、どうにもご理解がないように感じました。これでは本選でまた自民党は大敗北する羽目になるように思えてなりませんよ。


旧統一教会問題も、裏金問題も軽く見ている姿勢にはさすがに有権者はノーを突きつけている。それなのにまだ総理は増税をしようとしているのだから笑止千万。

裏金に至っては20000000円以上も懐に入れた某代議士が微処分で済まされているのだから。

そんなものは有権者は騙されません。

潔く自ら離党した某代議士が無所属で当選すれば勢力図は自ずと変わるだろう。

しかしながら、有権者の投票行動が70%位にならないのなら、また自民党の派閥政治は復活するのだろう。主権は国民であることを忘れてはならないと私は思う。


何かにつけてさまざまなことを忘れて生きているが、私は選挙権行使だけは辞退したことはありません。100%行使しています。

日本国民だからね。国民の三大義務は果たしています。皆さまももちろんでしょうね。

選挙権行使しない人は、政治に文句はありませんという意思表示ですから黙っていてくださいね。不足をいう資格すら無いと思う。

俗な代議士が増えたのは他ならぬ主権者である国民[有権者]が投票行動を放棄しているからであります。


私たちの未来、子どもたちの未来は何を言おうとも主権者たる国民[有権者]が貴重な一票を投ずる行動でしかないのです。

いい加減だかは、選挙妨害をする輩が出てきたりワガママ放題になっているのだ。

恥ずかしいということすらわからなくなっている。

人間は一人だと思うから恥ずかしいと思わない。二人居れば、三人居れば•••浄土真宗的には「その一人こそ親鸞なれ」であります。


いつも阿弥陀さまとご一緒に歩む日々が浄土真宗のみ教えであります。

一人じゃなかもん。(そんな歌ありましたよね)

南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまが老若男女の別をえらばず平等に救うと誓われた。親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の六字全体が【帰命】と【発願回向】、【即是其行】の3つのお心であると解釈されました。


【帰命】は[本願召喚の勅命]、「この弥陀を依りどころとせよ、必ず救い遂げる」とのお喚び声であるとお聞かせくださいました。

【発願回向】は私がお浄土に参りたいと願う前から「お前を我が国、極楽浄土に生まれさせるために行功徳[ぎょうくどく]を施し与えたい」というお慈悲の願いであるとお聞かせくださいました。

【即是其行】とは[選択本願これなり]、阿弥陀さまの力強い救済力を讃えられました。


これら3つのおこころは、皆、南無阿弥陀仏のお念仏の声のことです。

このお六字のはたらきのどこを押さえても【私】は抜けてはいないのです。

※私と阿弥陀さまは必ずセットになっているお法(みのり)です。

それゆえに[先手の法]と言われます。


なかなか人間はお念仏をお称えすることはできません。たった六字の言葉でも称えられません。『般若心経』は声高々に読める人が多いというのに。それは南無阿弥陀仏は私の持ち物ではないから、いただかねば私の口には称えることはできないのです。ましてや亡き人が仏さまの道を歩んでいることがわからない人にも称えることはできません。

仏法を他人ごととして聞く人にもやはり称えにくいようですね。

誰か他の人に向けて称えるものではありません。日々、地獄[自業苦]を自ら作りながら生きている我が身の恥ずかしさに頭が下がるような人にしか南無阿弥陀仏は素直にはいただけません。私はそう感じています。


だからこそ、聞いただけでもお救いに遇えると言われるのでしょう。称えねば救われないのでは条件付きになってしまう。阿弥陀さまは無条件のお救いであります。自力では救われない私なのに、どうしても自力に頼ろうとすることも阿弥陀さまはご承知くださいます。

だから【先手の法】なのですね。

阿弥陀さまの側から【声】のはたらきとなり私のところへ来てくださる。聞いてくれよ、受け止めてくれよ、いただいてくれよ、そのまま必ずあなたを救う仏[おや]がいるぞ。

のお喚び声が私に南無阿弥陀仏と聞こえてくださるのです。

まるで我が親が、我が子たるこの私に名前をつけて、呼び通しに呼び続けてくださったようにであります。親心を知ればきっと阿弥陀さまの仏の親心もわかるはずだと私は思います。

そんなことを思いながら、精一杯の【法】、南無阿弥陀仏をお称えさせていただきました。

大丈夫かな?自力の法になっていないかな。


明日も朝から埼玉県白岡市までお参りへ行きますので早起きしますよ。皆さまもどうぞ阿弥陀さまとご一緒の今を南無阿弥陀仏を称えながらお過ごしくださいませ。

お疲れ様でございます。おやすみなさい。

南無阿弥陀仏

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