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三人の使者

皆さま、おはようございます。

連休はいかがお過ごしでしょうか。あっという間に二月も終わろうとしています。

人生八十年ならまだまだ先ですが、過ぎればあっという間ですぞ。

一体何をして何を知るための人生でしょうか。

我が人生は、ずっと皆さまにご迷惑ばかりをかけてきたお恥ずかしい人生でありました。自分を着飾ることばかりで、自分の寂しさを知ってもらいたいとして起こしたさまざまなことが全て空回りして自分が思う以上に皆さまにご迷惑をおかけしてしま結局自分を一番苦しめてきたのです。

なんともお粗末な我が人生でありました。


このままでは、私を最後まで見守り応援してくださった方々に申し訳ない、せめてもの償いに、亡きおばあちゃんが教えてくれたことの実践を残りの人生でさせていただこうと思い寺を捨て家族から離れて身一つでやってきたのが今の超法寺であります。

まだ夢の途中であります。一人で突っ走ってきました。

周りから認められず、それでも理想を掲げやってきました。

「誰もが笑顔で優しくなれるお寺」

尊敬する成田先生のようになってみたい、お寺に来てくださる人を笑顔で迎えたい、

ナンマンダブツの声で本堂をいっぱいにしたい、これが我が夢であります。

お念仏は義務ではありません。お念仏をしなかったらいけないものではありません。

浄土真宗は、どうにもこうにもお救いから見放された凡夫が仏にならせていただく摩訶不思議なみ教えであります。そのような生き方しかできない自身の浅ましい生き方からの脱却であります。目覚めであります。


法然聖人は仰っています。

浄土教の人は、愚者になりて往生す。


でも実際は皆さん賢者となっていこうとするのですね。

真逆の人生を歩もうとされているのです。

興味を持ったら学ぼうとする。何を?

歴史を。どうして?

本質をどうして見ようとしないのだろうか。

人生はあっという間ですよ?【無常迅速】

間に合わないかもしれませんよ?【人生事大】

もう十劫もの昔(気の遠くなるほど昔)に既に成仏されてご本願を南無阿弥陀仏の声となって喚び続けておられるというのに、そこへは背を向けて自分の煩悩の殻に閉じこもっているのです。自分の教養なんて優先順位は上ではありません。

我が身に阿弥陀さまの願いを受け賜ることが今すぐせねばならない【勅命】なのですよ。


資格取れば安心?じゃやっぱり賢者の道じゃないですか。

結局虚しい人生でしかありませんよ。

おばあちゃんが教えてくれたことはそんなことじゃなくて、「自分の周りの人をしあわせにしてやりんさい」でした。これを我が人生のテーマにしていきたい。

人間であれば間違いもたくさんします。自分は正しいと相手を責め苦しめて自分が満足しようとして、結局そうなれずに自分が悩み苦しんでいくのです。

だから間違いを起こした人を責めてみても意味がありません。

それは嫌なことをされれば私だって嫌だし愚痴も出ます。

でも、私も人生でたくさんしてきたのですから。許されてきただけであります。

きっと今でもその方は嫌な思いをされているはずなんだから。

自分が嫌なら人だって嫌なもの。

そうであるならば責めても仕方がない。その方のも阿弥陀さまがおはたらくくださっておられますもの。きっと過ちに気づき目覚めてくださることでしょう。

私はそれを待ってみたい。


さて前置きが長くなりましたが、三人の使者についてお話しします。

この世にはあの世(どこでしょうか)から三人の閻魔さまの使いが来ておられると言います。ある人が死んで(生前、阿弥陀さまにお遇いできなかった)地獄(自業苦)に堕ち、閻魔大王の前に引き出されました。その際の閻魔大王とのやり取りです。お前は娑婆にいる時に私の三人の使者に会わなかったか?


いえ、会ったことはありません。


娑婆でお年寄りを見なかったか?


お年寄りならたくさんみました。


それが一番目の使者だ。

お前はその使いに会いながら、自分もやがて移ろい、老いる身であることに思いをいたさず、ウカウカと娑婆を過ごし、真実の道を求めなかったから、地獄に来るようになった。では二番目の使者に会わなかったか?


いえ、会ったことはありません。


病人を見なかったか?


病人ならばたくさん見ました。


それが私の二番目の使者だ。やがて自分も病む身であることに思いをいたさず、ウカウカと人生を過ごし、真実の道を求めなかったから地獄に来ることになったんだぞ。

では三番目の使者に会わなかったか?


いいえ、会ってはいません。


お葬式を見なかったか?死者は見なかったか?


お葬式ならたくさん見ました。


それが三番目の使者だ。死者を目の前にしながら、やがて自分も死ぬ身であることにおもいをいたさず、娑婆をウカウカと過ごし、真実の道を求めなかったから地獄に来ることになった


これは例え話で、地獄の世界は源信さまの『往生要集』に書かれています。興味のある方はぜひ一度お読みください。いずれ参らせていただく世界かもしれませんからね。

皆さまはどのようにこの話を読まれましたか?

この三人の使者に気づかずにウカウカと生きてきたのは誰でしょうね、わたし自身ではないでしょうか?仏法に出遇うのはこの無常に私自身が生きていることに気づかせていたふぁくこと、そして真実の教えに目覚めていくことなのです。


もちろん、気づけたら私の生き方が自ずと変わってきますよね。


【亡き人を師と仰ぐ、尊いことを教わったからである】


ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏

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