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この世に無駄などない

皆さま、こんにちは。

今日はスッキリと晴れましたね、寒いけど。

有難いことですね。

お洗濯日和ですよ。


柿と柚子

同じ風雨にさらされて

汝は赤く 我は黄なり

汝は甘く 我は酸っぱし

人 汝を賞美すれど 我もそうまた捨てじ

      [武者小路実篤]


【我他彼此】する世相にあって、それぞれを認め合うほのぼのとした詩です。

『仏説阿弥陀経』にも、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」と、それぞれのともしびを讃嘆されます。

ある冊子に、「この世に雑草という草は、一本もない」とありました。

知識の世界を問い直す厳しい言葉ですね。


このように私たちの周りには「無駄」などありません。

それぞれ大切な「いのちの輝き」を発しています。


私たちのいのちは、誰かの役には立っているのです。それを忘れたくはないですね。

たまたま周りに私を必要とした人がいなくても、そんなちっぽけな世界ばかり見ていないで、もっと広い世界を見渡してごらんよ。

きっとあなたを受け入れてくれる人がいるから。そういう目を持たせていただけるのが、ナンマンダブツのお力ではないでしょうか。

私はそれを知らされていますよ。


さてさて、今年もいよいよ半月になろうとしています。

除夜の鐘についてご紹介しますね。

【除夜の鐘はなぜ百八つ】

「百八つ」は【百八煩悩】のこと。

仏教では、人間には百八つの煩悩があり、その煩悩から解脱するといわれています。

そこで、一つ一つの煩悩から解き放たれて自由になり新しい気持ちで新年を迎えることができるようにと、年の最後の日に鐘の音を聞きながら祓い清めるわけです。[そんなことで祓い清めるなんてできるのかは疑問ですが]

現在では、そういった由来を知る人も少なくなり、NHKの「紅白歌合戦」を見終わって、テレビから流れる除夜の鐘の音を子守唄代わりに聞いている人の方が多いかもしれませんね。


また、梵鐘には上の方に二十五ずつ四ヶ所と二つずつ四ヶ所に、合計百八つのイボが必ずつけてあって、「百八煩悩」を表している。


ところで、この梵鐘から響き渡る鐘の音は、人間の仏心や仏性を揺り動かす力があると言われています。

その鐘の音は、わが国由来の楽律である日本十二律の一つ、黄鐘調という高さが一番優れていて、その調子に合っていない場合は、鐘銅の配合割合や全体の量を加減して繰り返し改鋳して作り上げるのだそうです。


毎年、何気なく聞いている除夜の鐘の音にも、深い意味があり、鐘を作る鋳工の苦心が込められてらいるのです。

今年の除夜の鐘は、そのようなことを考えながら聞いてみてください。

ただ、煩悩の百八つを克服する力は私たち人間にはございません。阿弥陀さまのご本願にたよるほかはありません。それはナンマンダブツを声に称えていくしかありません。

新年を迎える喜びは、南無阿弥陀仏を我が声に称えて感謝申し上げますようにしたいものですね。


南無阿弥陀仏

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