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畢竟依の人生

皆さま、こんばんは。

今日は一日、風が吹き荒れました。

春一番のような嵐のような強風でしたね。

いよいよ春一番、キャンディーズの歌を思い出したらあなたも昭和世代でしょうね。

キャンディーズを思い出したあなたは三人のうち誰のご贔屓でしたか。私は今は亡きあの人。


キャンディーズのあの人は今や『相棒』でお馴染みの水谷豊さんの奥さまですね。二人は『あんちゃん』というドラマで共演されました。

水谷豊さんは浄土真宗本願寺派の住職役をしていました。ご本山の設定で築地本願寺で研修をした回がありました。監修は神奈川県の某ご住職さんでしたね。松田優作さんや三浦洋一さんなど素晴らしい俳優さんが出ていました。


めちゃくちゃ懐かしいですね。

昭和はためになるドラマもたくさんありました。『普通のラブソング』いやぁ、懐かしいですね。

すみません、ど昭和の話です。

今も外は風が吹き荒れている音が聞こえてきます。

今日は今年初の埼玉県庁訪問でした。

昨年より宗教法人認証に向けて定期的に寺院活動の報告をしています。もちろん本格的なお寺の活動はまだ先ですが、現在は個人事業主で活動していますので税金面も優遇されてはいません。また法人でもありませんので社会的地位も確立されてはいません。今は入間市に根付くように活動をしています。

仮住まいで借家での寺院活動ですので制約もあります。

先のコロナ禍で大打撃を受けて二年間でしたが、紆余曲折した中何とか最悪な状況を乗り越えて、ようやく少しずつですが皆さまのご信頼を受けつつあるようです。


まだまだ本格的には程遠いですが、お寺の組織としても皆さまのご協力を賜りながら一歩一歩進めています。もう少しでこの入間市に腰を据えての寺院活動ができるところまで来れるでしょう。皆さまのご協力、お支えなくば超法寺は法人への道のりはただ険しいものになります。まだ門徒として活動に参画くださる方がたくさん必要です。私と同世代の昭和世代から応援していただけるよう、これからも頑張っていきます。尚、活動報告のためお写真を記録として撮らねばならないことを今後もご承知くだされは幸甚に思います。


また住職一人で全ての事柄をしているため、皆さまにはご不自由なことをお願いして申し訳ありません。今は先ず、超法寺を非法人寺院(教会)にするようにこれからも活動推進していく所存ですので、これからも皆さまのお力添えを賜りたいと伏してお願い申し上げます。


埼玉県庁訪問はとても柔らかな対応をしてくださいますが、慣れないことで気疲れしてしまいました。いけませんね、「老いるショック」で動けません。腰痛もまた酷くて。【老死】は誰も逃れられません。

そういえば、『仏説阿弥陀経』に「臨命終時阿弥陀仏(りんみょうじゅうじあみだぶつ)与諸聖衆(よしょうしょうじゅ)現在其前(げんざいごぜん)」という、お釈迦さまのお言葉が出てきます。これは(訳)【お浄土への往生を願う者は、命終わるときに臨んで阿弥陀仏がもろもろの聖衆(しょうじゅ)と共に、その前においでになる】という意味です。

 

このことから浄土教では【浄土往生】について、臨終という時を重要視してきました。


例えば、源信和尚の二十五三昧会(ざんまいえ)です。二十五人が一組となり、毎月十五日に集まり、阿弥陀仏を安置して臨終の時に備えて念仏をするというイメージトレーニングとでもいうのでしょうか。そのようなことが行われていました。

実際に枕元にかけた来迎図(らいごうず)の阿弥陀仏から糸を張り、その糸を手にして臨終を迎えるということも行われました。

[京都の金戒光明寺の来迎図は、その糸も含めて国宝に指定されています]


しかし宗祖親鸞聖人は、臨終に往生の原因【業因】が成就するという臨終業成(りんじゅうごうじょう)の立場を取られませんでした。

命終える時ではなく、【阿弥陀仏よりいただいた信心(他力)を得た時に(平生)に浄土への往生が定まるという平生業成(へいぜいごうじょう)をお説きになられました。

これは、臨終にことさらこだわる必要はなく、来迎図などを用意する必要はありません。

親鸞聖人は、それまでの考え方を塗り替え、信心(他力)ひとつで、誰でもいつでも、み仏の浄土へ往生することが定まるのだと、お説きになられました。


親鸞聖人のご和讃に、

 本願力にあひぬれば むなしくすぐるひと

 ぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の

 濁水へだてなし(『高僧和讃』)

と言われています。

訳)本願のはたらきに出会ったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳を備えた名号は宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。


※[むなしく過ぎる人生とは]

生死輪廻の世界にとどまり、出離の縁に遇うことなく終わっていく人生のことです。


蓮如上人は、『御文章』に「人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし」と、人間の一生の無常なることを示されています。

また、「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず」と、世間的な成功を求めるだけの人生のむなしさを教えておられます。


私たちがいかなる境遇や状況になろうとも、本願のはたらきは揺らぐことはありません。

この確かな依り処をいただいていることが、人生のさまざまな苦悩を受け止めながら生きていく力となるのです。


中国の曇鸞大師は、阿弥陀仏を【畢竟依】(ひっきょうえ)[衆生の究極のよりどころとなる仏という意味]

『正信偈和讃』に、【畢竟依を帰命せよ】とありますよね。


南無阿弥陀仏

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