「われ求めざるに如来われを求めたまい、われ尋ねざるに大悲われを尋ねたまう」(利井興隆)
皆さま、こんばんは。
今夜も「死のレッスン」の時間を実践中です。
これはほぼ毎晩、寝る前のルーティンです。
五木寛之さんを真似ています。
今日一日を振り返り、悔いは少ないか、やれることを精一杯やれたか、このまま朝目覚めなくても大丈夫かな、と思いをめぐらせる短い時間を過ごしています。
確かにまだ超法寺は、本当の意味でお寺ではありません。築地本願寺さまのご指導を受けながら活動して7年目に突入しました。まだまだ道のりは遠そうです。全くの0からスタートし、親兄弟、親戚の援助も得ずに良くぞここまでやれているなぁ、というのが正直な思いです。(もちろん応援はしていただいています、多分)
地盤もない、お金もない、特技もない私がよくぞここまで、いるま布教所を維持して来れたものですね。
あの3年前のコロナ禍で絶望の一歩手前まで追い込まれながらも、南無阿弥陀仏のおはたらきのままにたくさんの方々に助けられて乗り越えてきました。
まさに不思議なはたらきがありました。
私はいつも自身というものに固辞し自己中心的な思いで邁進してきました。布教所に参る方もあり、去っていく方もあり、誰も来ない時期がありました。甘い言葉に飛びつき騙され大失態を犯しもしてきました。そのような中でありながらも築地本願寺さまは様々な支援をして支えていてくださいます。頭が下がりますね。都市開教専従員となった際に「築地本願寺新報」の布教所、専従員一覧に住所と連絡先しか掲載されていなかったので、会議の場で「専従員の顔写真がないと皆さまは困ると思いますから載せてください」と意見しました。それから掲載までかなりかかりましたが、顔写真が載ると、一人二人と布教所を訪ねて来る方が出てきました。(広告費出すからもっと顔写真を大きく載せて欲しいです〜笑)
その一人は超法寺の中心メンバーになってくれています。やはり大切なことだったのですね。
今は入間市ファーストを基本に、あらゆる仏縁を粗末にせずに精一杯に勤めています。
故人さまがお呼びくださった大切なご縁なのですからね。
昔、祖母が教えてくれました。
人は一人ではしあわせにはなれないぞ。
お前が出逢う全ての人を笑顔にすることができなければ、お前は決してしあわせにはなれないと知りなさいよ。
おばあちゃん、マサヒロはやっているよ。
おばあちゃんのあの言葉が、布教所のスローガンにもなっているよ。
おばあちゃん、有難うね。
お母さんは、生前お手紙の中で、「お母さんはあなたの優しさにいつも救われているよ。お兄ちゃんありがとう。」と、書いていました。
あ、また涙が出てきちゃった。
何よ、お母さん、僕は何もしてないじゃない。
もしそれがお母さんの言う通りなら、それはお母さんがそういう子どもに命をかけて育ててくれたんじゃないか。
お母さんが大好きな親鸞聖人は、ご和讃に
【釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し我らが無上の信心を 発起せしめたまひけり】(善導大師讃)
まさにこれが愚かな私のためにしつらえてくださった両親ではなかったかと思うのです。
このお心を一人でも多くの方々にお伝えしていくのが私の使命なのでしょうね。
だって、お浄土で遇うべき人に今ここでお遇いさせていただいているのですからね。
そんな思いにさせてくれたのはお母さん、あなたですからね。
いつまでも心配ばかりおかけしました。孫を抱かせてあげることも住職になる姿も見せてあげられませんでしたね。悲しませてばかりでした。それでも最後まで優しく見守っていてくれました。あなたから大切にしてもらったこの命を娑婆の縁が尽きるまで生き抜いていくこと、南無阿弥陀仏をいつも声にして生きていくことが、きっとお母さんが笑顔いっぱいに喜んでくれることだと思っています。
あなたの子どもになれて嬉しかったよ。
お母さんと二人であちこちに出かけたのが僕はしあわせでありました。
まさにお母さんは諸仏さまでありましたね。
これも親鸞聖人は、
【南無阿弥陀仏となふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり】と、ご和讃にあらわされておられますね。
喜びの世界に生きる宗教、それが浄土真宗であります。喜べない私をそのまま抱きとめてくださる大慈悲のはたらきが南無阿弥陀仏であります。
愚かな私は、お母さんでなければきっと、この素晴らしいみ教えをいただくことなんて出来なかったはずだよ。
だから、やっぱりお母さんは諸仏さまですね。
私を見捨てられずにこの世にあらわれてくださったのですね。
頑固で素直でない私を見捨てずにいてくれたお母さん。あなたがいないこの一年は涙ばかりの一年でありました。
情けないでしょ。
56年間も一緒にいたんだもの。
この喪失感は一年やそこらでは克服なんかできないよ。
だからきっと、お浄土でまた遇うまで無理なんだよね。お母さん、伸子さん、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
お母さん、きっときっといるま布教所をお寺にしてみせるからね。それくらいしかもうあなたへの孝行などできないから。(号泣)
お母さん、ありがとう。
もう少し、あなたの子どもでいさせてください。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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