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執筆者の写真超法寺の住職

無碍の一道なり

皆さま、こんばんは。

ニュースで自民党の派閥が解散される報がありました。

岸田派に続き、二階派も・・・。政治不信は解消へと向かうのでしょうか。

主権たる国民(有権者)が声を上げることが引き続きあればもっと良い政治と

なるのではないかと期待しています。麻生派がどうなるかですよね。

それだけ派閥によりお金が重要であるということでしょうか。

それでなくても政治にはお金がかかるとは言われていますが一般庶民の私から

思えば恵まれ過ぎていると感じています。収支報告書に記載しないお金が何千万も

あるとは、それでも不起訴処分になるとかよくわかりませんが。麻痺しているの

でしょうか。今後の展開を注視していきたいですね。


さて、明日明後日は関東甲信地方は雪になるという。

私は日曜日、群馬県で葬儀を承っておりますので明日のうちに現地へ行こうと

思っています。皆さまもくれぐれもご用心くださいませ。


自分だけは大丈夫だと思うとしっぺ返しがあります。

人間の欲望は時に暴走するものです。

臼杵祖山師は、『大無量寿経五悪段講話』に、

 いまだ覚醒しないひとにおいて、けっして悪人ではありえないということで

 あります。みなみずからおごれる善人ばかりであります。

 このみずからおごれる善人には、気の毒ながら、なんらの平和も、安住もえられな

 い。悪人という自覚、それはなんとおう尊い自己自照の明鏡でありましょうか。

 また自己審判の最上でありましょうか。

と、「自ら驕れる善人」であることの愚かさを誡めておられます。


私たちは自らの意識をもってしては、自らをありのままに見ることはできない。

自分の顔は鏡によってのみ見ることができるように、私の本当の姿を自分の理性で

把握することは不可能なことです。

教えに遇い、教えを聞くということは、本当の自分に出会うということでもあるのです。

煩悩に苛まれ、常に自分の側に立ってでしか物事を見ることができないもの、それを

【悪人】というのです。

そして自らを良しとする思いに住する人、それを「自ら驕れる善人」といわれるのでありましょう。


臼杵祖山師は、

あの動物を嘲笑するどころではない。かれらがあさましくあわれに思われる以上に、

あさましく哀れなものを、多量に多数に、この私自身の中にもっておるということ

であります。そのあさましい哀れなことは、あの動物のことではなくして、この人間

である私にこそあるのです。


とおっしゃっておられます。このような自己に目覚めることこそが大切だと知りたい

ものですね。悪人も実は誰でもなくこの私だと自覚することが「ご本願」のお心を

いただききっかけとなるのでしょう。

その自覚がなければ、いつまで経っても自分はいつも正しくて周りを責めてばかりいることに終始して生きることのなるでしょう。もちろんお念仏などいただける状況にもなり得ないのかも知れません。


 実るほど、頭をたれる稲穂かな


は、そんな浅ましい生き方ではわからないでしょう。

よく、偉い人、肩書きがある人、長が付く人はなかなかお寺に参れない、と聞きます。頭は下げても下がる人にはなれないと言います。

私は学生時分に、手を後ろ手で組むそんなお坊さんになるなよ、と教えていただきました。後ろ手に組むとお辞儀できない。偉そうに見えるから止めろよ。

そう言われました。前で組むと良いですよ。

だってお念仏も合掌は前で手を合わせるじゃないですか。ね。


政治家も国民目線になれたら本当の意味で変わるのでしょうね。

パフォーマンスで終わらないことを願っています。

そもそもキックバックは辞めようと元総理の安倍晋三さんは亡くなる二週間前に言われていたのです。きっと喜んでいるでしょうね。合掌念仏


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