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浄土真宗は水を供えない

仏壇やお墓に茶湯器やコップを使い水を供えている方をよく見ます。

これはほとんど習慣的なものと、亡き人の行き先を存じない方ではないかと思います。

それに加えて、仏壇屋さんや葬儀社さんが勧めるからという答えを聞きますが、悲しいかなお寺さんの言葉を信じてくださらない人が実に多いのです。


水を供える=亡き人の喉を潤すため


しかしながら、浄土真宗のみ教えを正しく聞いておられるならばこのような間違いは起きないと思うのです。


南無阿弥陀仏を称えることで阿弥陀さまは、

必ず浄土に生まれさせ仏する(さとり)とお誓いくださっておられます。


地獄に堕ちているならば•••••という方もいらっしゃるでしょうが、地獄の亡者は水も食べものも全て口にすると火に変わり食べたり飲んだりすることはできないと言われています。

『往生要集』を参照ください。

つまりは、こちらからどんなに亡き人を心配しても、私たちにはどうすることもできないのです。


ではどうすればいいか?


阿弥陀如来さまの【ご本願】[他力本願]におまかせして、私たちが【南無阿弥陀仏】を称えて生きていくことが一番大切であり、それこそが故人への最高の供養となるのです。


そもそも「喉の渇きを癒すため」は、追善の意味になりますから仏さまのお慈悲のお心にそぐわないのです。


それでも、どうしてもお水を供えたい方は、【華瓶】(けびょう)という仏具を用います。

※仏壇屋さんでお求めできます。

具体的には、華瓶一対に水を入れ、樒(しきみ)または青木を生けて(色華は用いません)

お供えします。

なぜかといえば香木(こうぼく)だからです。

⭕️仏さまの恵みを清らかな香水にして供える

ところに敬いと感謝の心が込められている。


※華瓶が無ければ、あえて供える必要はなく、

お茶やお水を供える必要はありません。


何においても、故人さまにお届けするものは南無阿弥陀仏を私が声に称えることであります。


※お茶は禅宗(曹洞宗、臨済宗)

※お水は神道と真言宗(水には魔力があると信じられ故人の魂を蘇らせるという意味もあるそうです)


⭕️浄土真宗のみ教えは、全てにおいて阿弥陀如来さまの願いのままに私が生きていくことを勧めておられます。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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